アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
◆◇◆ 薬箱手帖 ◆ 稲村光男抒情画工房 ◆◇◆
ブログ紹介
絵と文●少女抒情画●挿絵●図案●文芸批評●音楽評論●思想談話
help RSS

三鷹 古本 ギャラリー 喫茶 点滴堂

2013/04/10 10:36
三鷹駅 北口 歩いて5分 
ちいさなお店ができました 
書架には古本を並べて 
作品展示スペースを設けて 
珈琲をご賞味いただけるお席をご用意して 
お待ちしています♪


三鷹 古本 ギャラリー 喫茶 点滴堂


三鷹 古本 ギャラリー 喫茶 点滴堂



BOOKS & GALLERY cafe TENTEKIDO

これからはお店のこと、おしらせと日常のことなど点滴堂のブログ http://tentekido.blog.fc2.com/ に綴っていきたいと思います。

また、引き続き @timeandlove のTwitterアカウントにて日々のつぶやきをポストしていきます。


月曜と火曜の定休日を除き、毎日12:30から21:00まで、ちいさなお店でお待ちしています。お気軽にお立ち寄りください。

これからも、どうぞよろしくおねがいいたします。
記事へトラックバック / コメント


happy new year 2013

2013/01/07 13:38



新年あけましておめでとうございます。

happy new year 2013


2013年 三鷹駅北口 歩いて5分ほどのところにちいさなお店のオープンを計画しています。

古書を並べて、作品の展示スペースを設けて、珈琲や紅茶を飲めるお席をいくつかご用意して。

そんな空間で、妻 陽子と紡いできた夢をこの先へつなげていくことができたら…と 願っています。




みなさまのご多幸を祈りつつ、感謝をこめて…。

本年も どうぞよろしくお願いします。



記事へトラックバック / コメント


「万年少女人形館」作品集

2012/05/04 17:34

「万年少女人形館」作品集




ガラスのひとみのお人形。
お菓子のようなブローチ。
その世界に触れたみんなの心をとらえてはなさないまま、
2011年晩秋 安らかな眠りについた葉子の作品集。
愛おしさをこめて、文庫サイズのかわいらしい本ができあがりました。

「万年少女人形館」作品集



memorial photo book
万年少女人形館 作品集
人形と小物 葉子
写真と構成 稲村光男
発行元 点滴堂




24枚の写真がポストカード仕様になったA6サイズ(10.5cm×15cm)
48ページ フルカラー カバーつき 定価 1600円




お求めは下記のお取扱店にて。

♦大阪 中崎町・乙女屋
http://www.otomeya.net/

♦京都 上京区・スクワール/眠れる森
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/squirrel/

♦東京 国立・SERAPHIM
http://www.k-seraphim.com/

♦東京 小平・コトリ花店
http://www.haljion.com/

♦東京 高円寺・Too-ticki
http://www.koenji.info/04_hobby/goods/tooticki.html

♦東京 下北沢・ギャラリー無寸草とづづ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~musunso/

♦東京 下北沢・もくようかん
http://www.mokuyohkan.co.jp/





★通信販売について

下記のweb-shopにてお求めいただけます。

♦乙女屋
http://www.otomeya.net/

♦SERAPHIM
http://www.k-seraphim.com/





ひとりでも多くの方に手にとっていただけたなら、しあわせに思います。

mitsuo inamura




記事へトラックバック / コメント


マトリョーシカ作品の出品

2012/05/03 22:12



2月に開かれた「マトリョーシカの国 2012」にて、出品作に注目してくださった方々に心から感謝しています。ありがとうございました。

たいへんな寡作のうえ、商業的に価値あるものを制作するスキルを持つわけでもない自分の作品ですが、ささやかながら心に響くものをつくることができたと感じることができて、うれしく思っています。


こちらは昨年の作品ですが、ロシア雑貨のweb-shop「ルイノクU」さんに「ギリシャ神話のマトリョーシカ」を出品しています。

http://item.rakuten.co.jp/ruinok-2/mitsuo-3/

ギリシャ神話のマトリョーシカ




記事へトラックバック / コメント


マトリョーシカの国 2012

2012/02/08 07:42




2月8日(水)から12日(日)まで、吉祥寺 gallery re:tailで開かれる企画展「マトリョーシカの国 2012」に参加します。


画像




今年で3回目になるこの企画展。たくさんの参加アーティストのステキなマトリョーシカやかわいいグッズ、本場ロシアからやってきたレアものなどが一同に集まる、とても楽しみなイベントです。

とくに昨年は何人かの作家さんとのたいせつなご縁ができたこと、とてもうれしく思っています。


今回、ぼくは一組のマトリョーシカを出品します。


画像



画像



これまでアリス、ニジンスキーのバレエ、ギリシャ神話といったテーマで描いた作品を出してきましたが、今回はとくに何のモチーフもなく、ただ今の自分のこころの中を泳ぐような気持ちで描いてみました。


バレンタイン前の5日間、吉祥寺の中道通りにあらわれる「マトリョーシカの国」。同潤会アパートを思わせる蔦のからまるステキな建物のギャラリーre:tailを、ぜひ訪れてみてください。


くわしくはこちらへ↓

【マトリョーシカの国 2012】
http://thetail.jp/archives/7692


期間:2012.02.08(水) ~ 02.12(日)
時間:12:00 ~ 19:00
場所: gallery re:tail(本館) / ☆百想(re:tail別館)

http://thetail.jp/




記事へトラックバック / コメント


thanks for all. rest in peace...

2011/12/10 21:07




葉子の万年少女人形館



2011年11月21日の深夜、万年少女人形館 葉子こと、妻 陽子が永眠しました。

うまく言葉にすることができなくて、すみません。
そして悲しいおしらせで驚かせてしまって、ごめんなさい。
まだ果たしてないたくさんの約束、ステキな計画が次々に浮かんできます。
どれも残念でたまらないことばかりです。

いまはただ、お人形その他の作品に触れてくださった方々のこころのかたすみのどこかにその印象をとどめていただくことで、儚いものになってしまった彼女の世界が生き続けてくれることを願っています。

ささやかながらかけがえのない世界を産み出してくれた葉子と、その世界に愛を感じてくださったすべての方に、心からの感謝をこめて。


2011.12.4. 稲村 光男








画像

photo by mica TAKEO



2011.12.8.〜12.15

京都の古い洋館でひらかれる squirrel / 眠れる森のmicaさんの展示会「魔法の調べ - wander in wonderland -」。
とくべつにお申し出いただいて、会場の一室に、ささやかながら万年少女人形館の作品も置かせていただくことになりました。

ひとりでも多くの方にご覧いただけたらしあわせです。

くわしくは こちらへ→ 魔法の調べ - wander in wonderland -




記事へトラックバック / コメント


ギリシャ神話のマトリョーシカ

2011/02/13 12:33



2011年2月、吉祥寺 gallery re:tailの企画展「マトリョーシカの国」に出品した作品です。

ギリシャ神話のマトリョーシカ
matryoshka doll : images of Greek myths


ふたご座のカストルとポルックス、レダと白鳥…。星の神話に登場する古代ギリシャの神さまをイメージして描いてみました。




見る角度を変えるとちがって見えるように描かれています。



ギリシャ神話のマトリョーシカ


ギリシャ神話のマトリョーシカ













Tweet

[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


吉祥寺 gallery re:tail 企画展「マトリョーシカの国」

2011/02/08 02:35




2月9日(水)から13日(日)まで、吉祥寺のgallery re:tailで開かれる企画展「マトリョーシカの国」に参加します。

昨2010年2月にぼくもひとつめの「アリス・マトリョーシカ」などを出品させていただいた「マトリョーシカの村」展が大好評で、1600人もの方にご来場いただけたということから、今年2011年はさらにもりだくさんな内容になって、吉祥寺の中道通りのギャラリーre:tail本館と別館「百想」の、ふたつの会場にて開催されるとのことです。


マトリョーシカの国



いちばん楽しみなのは、やっぱり100名以上の日本の作家によるマトリョーシカの展示販売。
ぼくが注目している方々が何人も名を連ねていて、ご一緒できるのをとてもうれしく思っています。
それに、まだ知らないたくさんのアーティストの作品に出会えるのも、すごく楽しみなのです。


参加作家


第1会場 re:tail
やつはしよう子 / nico. / かれ〜なる絵制作所By ちーもんず★ / poteco / オカタオカテツヤ / はやしみほ / ぷちぐるみ工房 / 服部ともあき / 木村カフ / pigumono / 沙月 / POPBEANS+015 / Shocone / Kaori Shimizu / Macro / こぬらて / martha / 小山ゆうこ / rikko / 津江明日香 / ちょん / summy / madame yun / ひだまりの森 / にわまみ / 鈴木幸恵 / 斉藤きよみ / 江連判子店 / lull / 亞鳥舎 / べこ / zucco. / 水村璃根 / 村瀬夏子 / ヨシムラカヨコ / orangé / Ri*Ku / STROLLER まめ / ひだか きょうこ / aimimosa-小早川ひとみ / meca / モスコゆうこ / q-mania / 藤本 みどり / MaSaCo / 稲村光男抒情画工房 / ヨコミーコ / 和田 治男 / いちかわともこ / kaori / 石井 聖岳 / 真昼 / かとまり / cokets. / fumimi / 佐々木 美佳 / 村山 永子 / さくらマトリョーシカ / きょうこの閃き遊園地 / francegum / しをんそう / 太田きょうこ / 山下 真世 / 千秋 麻美子 / 佐藤 香苗 / coneruたにむらまいか / タコベル / uma / 森田MiW / nagomi*zu 〜なごみず〜 水戸美鈴 / 吉井みい / サタケシュンスケ / hosi7 / オオハラ アヤ / タカシマユカ / 原 千恵子 / クリタミノリ / tonyqko / Forest Green おおたやすよ / のり / “little shop”福士悦子 / エビスケ / とまつり むつみ / MoMoMi / 平岡 素子 / ヤマシタアヤコ / fukkie. / eto / 93salt / tomonica / 田中サヤ /


第2会場 百想
ie / nosumosu / ta-nya / 伊佐山公子 / 小田切美佐江 / 八木史規子 / たかなしますみ




そのほか、ぼくもマトリョーシカ関連作品をお取り扱いいただいてお世話になっているロシア雑貨「ルイノク2」さんによるロシア作家のレアマトリョーシカの展示販売、ウッドバーニング専門店「木の香」さんによるウッドバーニングのワークショップなども予定されているそうですので、興味のある方はどうぞお見のがしなく。


RUINOK U
http://www.rakuten.ne.jp/gold/ruinok-2/

ウッドバーニング専門店 木の香
http://kinoka.woodburning.jp/


ぼくは、ギリシャ神話のイメージをモチーフにした新作マトリョーシカと、11月に下北沢・無寸草でお披露目しておかげさまでご好評いただきましたふたつめのアリス・マトリョーシカを出品します。


ギリシャ神話のマトリョーシカ



アリス・マトリョーシカ




みなさまお誘い合わせのうえ、ぜひ会場でお楽しみください。



【マトリョーシカの国】 Матрёшка Страна

http://thetail.jp/archives/5598

期間:2011.02.09(水) ~ 02.13(日)
時間:12:00 ~ 19:00
場所: gallery re:tail(本館) / ☆百想(re:tail別館)

http://thetail.jp/








Tweet
[あとで読む] 



記事へトラックバック / コメント


マトリョーシカ展【3】 下北沢 ギャラリー無寸草とづづにて

2010/11/02 09:32




2010年11月2日から、下北沢のギャラリー無寸草とづづにて「マトリョーシカ展」が開かれます。

昨年にひきつづき、ぼくは葉子の万年少女人形館といっしょに 【葉子&光男】 の名まえで参加させていただくことになりました。



マトリョーシカ展告知はがき


マトリョーシカ展【3】

下北沢 ギャラリー無寸草とづづ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~musunso/

小田急線/井の頭線
下北沢駅南口より徒歩2分 
地図

11月2日(火)〜11月14日(日)
12:00〜20:00 (最終日17:00まで)
月曜休廊
※「居酒屋づづ」 は23時まで営業


参加アーティスト

影山多栄子
金田アツ子
亀山結花
香凛
guppie☆
K・S
佐藤美保子
タカヒサケイコ
とりやべたまえ
なかよしこけし堂
永見由子
はやしみほ
FuUSENKA
ふなこしかな
マツモトヒラコ
まな
山下美千代
山本裕子
山屋幸子
Yoshie
U作+金魚
葉子&光男
lilga
りんりん堂


今年の下北沢・無寸草のマトリョーシカ展は24のアーティストが参加。

いろんなジャンルで活躍されている作家さんの、バラエティにとんだマトリョーシカや、マトリョーシカ・グッズなどが集まっています。

ぼくは、あたらしく作った「アリス・マトリョーシカ」を出品します。

アリス・マトリョーシカ


11月14日までの開催です。ぜひお立ち寄りになってみてください。

※在廊の予定などについてはTwitterでおしらせできるかもしれません。
よろしかったらチェックしてみてください。
http://twitter.com/timeandlove





Tweet
[あとで読む] 



記事へトラックバック / コメント


ルイノク2のマトリョーシカ

2010/10/11 14:29




ロシア雑貨のweb-shop「ルイノクU」さんにて、マトリョーシカ関連作品をお取り扱いいただくことになりました。


ルイノク2

ルイノク2 稲村光男マトリョーシカ



「作家マトリョーシカ」のカテゴリーの中に「稲村光男マトリョーシカ」のページを設けていただきましたが、葉子の万年少女人形館との共同出品で、絵付けをしたマトリョーシカ作品のほか、陶土粘土製・グラス・アイ入りのマトリョーシカ・ペンダントなども出品中です。


よろしかったらあわせてチェックしてみてください。



稲村光男マトリョーシカ → http://bit.ly/asVoRX

ルイノク2 稲村光男マトリョーシカ



今回出品したマトリョーシカは昨年つくったものですが、ほかにもマトリョーシカの展示イベントへの参加のお誘いなどもいただいていることもあって、これから新作にも取り組んでいきたいと思っています。





Tweet
[あとで読む] 
記事へトラックバック / コメント


ヴァシュティ・バニアン - Just Another Diamond Day

2010/07/29 02:32






ぼくがドノバンやフェアポート・コンヴェンションあたりを糸口に、ペンタングルやスティーライ・スパンといった英国トラッドの香り漂う音楽を好んで聴くようになったのは、1990年代の中頃のことだったと思います。

フリーペーパー「献血劇場」誌上に連載していた「雨の日の女」で柳田國男「遠野物語」を取り上げたときにあえてドノバンのアルバム「HMS DONOVAN」を引き合いに出して語っているように、新しい文学を探すよりも民俗学の世界にのめり込んでいき、それとパラレルにイギリス、あるいはケルト世界のルーツ・ミュージックに魅せられていったのです。

雨の日の女 #29 柳田國男「遠野物語」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/rainyday_29.html


ちょうどその頃、たまたまロックダイヴィングマガジンから出た「ラビリンス・英国フォーク・ロックの迷宮」というレコード・ガイドブックを手に入れて、まるで宝物の地図のように読みふけって、お気に入りの音を日々探し続けたものでした。

いまは残念ながらぼくの手元にもなく、すでに絶版になってしまっているようですが、「ラビリンス・英国フォーク・ロックの迷宮」という本はかならずしもトラッド・フォークの専門書ではなく、比較的メジャーなロックやポップスの中にブリティッシュ・トラッドの香りを嗅ぎ付けることができるレコードもたくさん取り上げつつ、独特のユーモアあふれる文でレビューを付していき、いつのまにか数百枚だけ自主制作されたとおぼしきレア・アイテムにまで興味を抱かせてしまうという、文字どおり迷宮への誘いにみちた罪作りな一冊。

幸いぼくはその当時、寸暇を惜しんでにレコード屋さんをめぐって散財することもなく、浴びるように音楽を聴くことができる環境にいたので、興味を持ったレコードは片端から聴いてみたものでしたが、やはり稀少盤などにはそうそうお目にかかれるものではなく、「良さそうだけれど、一生めぐり会うことなんてないかもしれないな」と、あきらめ半分に思っている作品がいくつもあったのです。





ヴァシュティ・バニアンのアルバム「ジャスト・アナザー・ダイアモンド・デイ」も、まさにそんな1枚でした。

なにしろ1970年にリリースされたオリジナル盤はわずか100枚だったとも言われ、もしも売りに出されても目玉がとび出すほどの高嶺の花に決まっているし、そもそも本物のレコードを見る機会さえありそうにない、というまぼろしの代物だったのです。

それがいまではめでたく正規でCD化されて、期待を裏切らない、のどかで牧歌的なようでいて、何とも形容のしがたい独特の歌と音世界の伝説の音源に手軽に触れることができるようになりました。



Vashti Bunyan - Just another diamond day



この作品がきっとステキな1枚に違いない、という予感は、レコード・レビューで絶賛されていることやフェアポート・コンヴェンション関係の人脈などといったことに加えて、このアルバムのジャケットのアート・ワークからも感じられたものでした。

経験から言って、このジャンルのレコードはとりわけ、ジャケットの雰囲気とその内容とがリンクしている確率が高いのですから。

そんなこともあって、このレコードがCDで聴けるようになるのは待ち望まれていたことでしたが、12インチ・サイズのLPで自分のものにできたなら、というのもまた夢だったのです。


さらにその夢の、そのまた夢と思われていた、ヴァシュティ・バニアンの「新作」が届けられるという事件が起ったのは2005年のこと。

スコットランドの牧場に移住して子供を生み育てていたという彼女の、実に35年ぶりの歌声は、これもまた信じられないくらい、何も変わっていなかったかのようにすばらしいものでした。





画家である娘さんに描かせたというこのアルバムのジャケットも、ものすごくステキなできばえ。

ちょっとだけ、ぼくがいま愛用しているトートバッグにプリントされた吉田キミ子さんの描いたうさぎの画に通じるような気もしてしまいます。


吉田キミ子さんのうさぎの画のトートバッグ




2007年には、初期のシングルとレア・トラックを集めた「Some Things Just Stick in You Mind」が発売。

ヴァシュティ・バニアンのデビュー曲がローリング・ストーンズ・ナンバーだったということを話には聴いていましたが、それも耳にすることができるようになり、そのうえ今ではYou Tubeで動画まで見ることができるようになってしまいました。






Vashti Bunyan - Some Things Just Stick In Your Mind (Rolling Stones)



これを聴いて、すぐに思い浮かべるのは同じくジャガー/リチャーズ作品「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を歌ってデビューしたマリアンヌ・フェイスフルのこと。

イミディエイト・レコード・レーベルをつくってイギリスのフィル・スペクターを目指していたストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムが、ヴァシュティ・バニアンもマリアンヌと同じようにちょっとフレンチ・ポップ風なウィスパー・ボイスのアイドルとして売り出そうとしていたことがよくわかります。


もしかすると、ヴァシュティ・バニアンはもうひとりのマリアンヌ・フェイスフルだったのかもしれません。

その後に彼女たちのたどった運命はあまりにも違ったものだったけれど、誰も予想もしなかったほど長い年月のあとに、誰も予想できなかったくらいすばらしい作品を産み出してみせた、という点でも共通しています。


ところで、実は先日初めて気がついたのですが、カムバック作「Lookaftering」が発表された2005年、あの「Just Another Diamond Day」のアナログ盤も発売されていて、Amazonで現在も「在庫あり」になっていたことに驚かされました。





ずっと前に叶わないと思っていた夢が、思いもかけず現実になっていた、そんな気持ちです。







記事へトラックバック / コメント


「小品展」 国立 ART IMAGINE 出品のおしらせ

2010/07/01 07:34



2010年7月1日〜7月6日、国立のギャラリーART IMAGINEで催される「小品展」という企画にお誘いをいただいて、出品することになりました。





アートイマジンギャラリー 小品展DM



【小品展 〜生活の中にアートを〜】

■会期/2010年7月1日〜7月6日 
    12:00〜19:00(最終日は16:00まで)

■会場/アートイマジンギャラリー(国立市東1-15-33 ヒロセビル 502)
    ※中央線国立駅 南口より 徒歩3分
    http://www.art-imagine.com/

■ 出品作家(敬称略)
いとう良一
稲村光男抒情画工房
岩佐英明(achi)
大江克尚
神本和思
gondolina
佐藤創一
塩浦信太郎
杉子
芹野健太
高橋沙也
竹村友里
田尻恵理菜
棚橋航
Masachiko
丸山薫
村田繭衣
山田久美子
山村絵美
横山ひろあき
若林やすと



ぼくは、ルイス・キャロルの「アリス」を描いた画を、いくつか展示します。


画像



画像



機会がありましたら、のぞいてみて下さい。







[あとで読む] 

記事へトラックバック / コメント


アリス チェスタートン 柳田國男

2010/06/15 02:15




また「アリス」の絵を描いてみよう。

そう思って、参考にと昔の「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号を書棚から出してきたら、ギルバート・キース・チェスタートンの評論「ノンセンスの擁護」に読み耽ってしまい、絵はちっとも進まなくなってしまいました。


「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号



「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号は、1970年代の「不思議の国のアリス」再評価のムーブメントの中心となった1冊。

むかし読んだときはよくわからなかったけれど、そこに収められた「ノンセンスの擁護」のチェスタートンの文章力があまりにもすごすぎて、すっかり幻惑されてしまったのです。


われらの住まうこの薄明の世界をいかに受けとるべきか。これには永遠に拮抗する二つの見方があろう。
つまり、夕暮の薄明と見るか、朝まだきの薄明と見るかだ。
…(中略)…
「人間とは、あらゆる時代の末端の相続人」なり、と思い知るのが人間のためになることは、大方の認めるところだ。
それほど一般受けはしないけれど、劣らず重要なのは、こう思い知ることだ。
---人間とは先祖、それもあらゆる時代を遡った始源の昔に位置する先祖なり、と。
これまた人間にとって良い薬である。
もしかしたら自分は英雄ではないのかと思いを馳せ、ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのかといぶかって心高まる思いを味わう、人間たるものそうあってしかるべきであろう。


このおそるべき文体によく似た何かを、他にもどこかで読んだことがあるような気がする。

そう思って記憶をたどってみて、初期の柳田國男のつぎのような文章に思い当たりました。


小生は以前苅田嶽に登りて天道の威力に戦慄し、鵜戸の神窟に詣でて海童の宮近しと感じ、木曾の檜原の風の音を聞きて、昔岩角に馬蹄を轟かせて狩をせしは自分なりしように思い候ひし、あの折の心持ちを成るべく甦らせて昔のことを攻究致し候ひしかば、…(中略)…猶不可測に対する畏怖と悃情とを抱くことを得候ひき。


名著「遠野物語」と同じ明治43年に上梓された、黎明期の日本民俗学の重要な文献「石神問答」の中の一節です。

たしかに、ここには「ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのか」という思いにとらわれた一人の詩人の昂揚するたましいがありました。


現在も読み継がれる推理小説「ブラウン神父」シリーズの作者でもあり、英国保守思想のイデオローグとしても知られるG.K.チェスタートンと、わが柳田國男とは1歳違いの同時代人。

その影響関係のことについて誰かが言及していたはず、と思って検索してみたのですがすぐにはそれらしいコンテンツが見つからず、そのかわり自分が昔綴った文章が出てきてしまいました。


【薬箱手帖】 クマグスとキンクス
http://timeandlove.at.webry.info/200904/article_1.html


この中で、ぼくは次のようなチェスタートンの一節を引用しています。


民主主義、民主主義と言うが、生きている人だけが票で決めるのである。 これは仕方ないかもしれないが、我々は、我々の先祖という死者を抱えている。 死者の意見もやはり聞かなくてはならない






チェスタートンの名著「正統とは何か」の核心となる、「死者の民主主義」の思想。


伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。
死者の民主主義なのだ。
単にたまたま今生きて動いてるというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。
伝統はこれに屈服することを許さない。


これとぴったり重なり合う提言が、やはり若き日の柳田國男が農商務省のエリート官僚として記述した「時代ト農政」という著作に見られることにひどく興味をおぼえて、ずっと前にもこの二人のつながりについて考えてみたことがあったのを思い出しました。


国家ハ現在生活スル国民ノミヲ以テ構成ストハ云ヒ難シ、死シ去リタル我々ノ祖先モ国民ナリ、其希望モ容レサルヘカラス、国家ハ永遠ノモノナレハ、将来生レ出ツヘキ我々ノ子孫モ国民ナリ、其利益モ保護セサルヘカラス。



陳腐で凡庸で過酷で抑圧的な民主主義が支配するこの世界において、祖先を国家共同体の構成員としてカウントしてみせるという反近代的考察。

まるで華麗な反則技のようにすばらしいこのアイディアが二人に共通して見られるのは、影響関係というよりはむしろシンクロニシティではないかと思われます。

それは保守主義というカテゴライズでとらえるよりもむしろ、気が遠くなりそうなくらい壮大なロマンティシズムと受けとめるべき心性なのかもしれません。


ギルバート・キース・チェスタートン 正気と狂気の間―社会・政治論


バーナード・ショーやH・G・ウェルズらの進歩主義と敵対したチェスタートン。

田山花袋や島崎藤村の自然主義と袂を袂を分かった柳田國男。

そしてそれよりもさらに興味深いのは、この思想の上に立つチェスタートンがその価値を見いだして擁護を宣言してみせたのがエドワード・リアの詩やルイス・キャロルの童話といったノンセンス文学であり、柳田國男が「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と宣言して格調高く書き綴ったのが顧みられることなく忘れ去られようとしていた民間伝承の世界の叙述であったということ。


「遠野物語」とは、明治末年の日本で、類いまれな知性と感性を抱えて歌に別れを告げたばかりの抒情詩人が出会ったアリスの不思議の国の物語だったのかもしれない。

もしくは、アリスという少女は英国ヴィクトリア朝の論理学者の目の前にあらわれた一人の座敷童子であったのかもしれません。



悪気はないのだが、ものごとの論理的側面を研究しただけで「信仰なんてノンセンスだ」と断言した人がいる。
自分がどんなに深い真実を語ったか、御本人は御存知ないのだ。
まあ、時いたれば、同じ言葉がひとひねりされて、彼の脳裏に甦るかもしれぬ
---ノンセンスとは、信仰だ、と。



2010年6月14日は、「遠野物語」はわずか350部の自費出版で刊行されてからちょうど100年の日。

偶然ですが、この日はギルバート・キース・チェスタートンの祥月命日でもありました。








[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


トクマルシューゴ ライブ at 恵比寿リキッドルーム 2010.6.6.

2010/06/12 14:05




トクマルシューゴ PORT ENTROPY TOUR フライヤー



6月6日、ずっと楽しみにしていたトクマルシューゴさんのライブへ、行ってきました。

どのくらい楽しみにしていたかというと、昨年はじめてこの「薬箱手帖」でその音楽について綴ったころから、とにかくライブがすばらしいと聴かされていて、ずっとずっと見てみたいと思い続けていたのです。


【薬箱手帖】 トクマルシューゴ - Rum Hee
http://timeandlove.at.webry.info/200907/article_4.html



ぼくらにはじめてトクマルシューゴのことを教えてくれた人形作家のまなさんと、万年少女人形館の葉子の二人はすでに何度かそのライブを観に行っていて、昨年10月に吉祥寺の老舗銭湯「弁天湯」で行われた「風呂ロック」出演のときも運良くペアで手に入ったチケットを持って二人でお出かけしたのを、ぼくはうらやましく思いながらお留守番していたものでした。

そんなわけで、ニューアルバム「PORT ENTROPY」発売後の全国ツアーのラスト、今回の恵比寿のリキッドルームがぼくにとってははじめてのトクマルシューゴのライブ体験だったのです。


【薬箱手帖】 トクマルシューゴの待望の4thアルバム「PORT ENTROPY」に寄せて
http://timeandlove.at.webry.info/201004/article_8.html



当日は恵比寿にむかう前に、下北沢へ立ち寄って、万年少女人形館の作品を木曜館へ納品するのにおつきあい。
「さくらちゃん」の新作や、このお店でもう何百個も販売していただいてる「うさぎバッジ」を追加でお納めしてきました。





ここで合流したまなさんも、木曜館にステキな作品を出品していました。

下北沢へお立ち寄りの際は、ぜひご覧になってみてください。





3人で恵比寿へ向かう途中、トクマルさんのアルバムの中でどの曲が好き?といった話題になって、どれも捨てがたく「TRACKING ELEVATOR」や「STRAW」といった曲の名前が次々に出ましたが、ぼくは10曲目に収められた一見穏やかな調子の「SUISHA」という曲が妙に気になる、などと話していました。

もちろん、この日のライブをずっと楽しみにしていたのはぼくらばかりではなく、圧倒的な注目を集めてチケットは発売間もなくソールド・アウトとなってしまったと聞いていたので、まなさんのお友達のアキコさんのおかげでチケットを入手できただけでも、とても感謝していました。

ところが、チケットを手に取ってみるとおどろいたことに、整理番号が一桁の数字。思わず目を疑ってしまいました。


トクマルシューゴ ライブ at 恵比寿リキッドルーム 2010.6.6. チケット



会場が開場するのを待ちかねて、さっそく最前列の最高のポジションへ。

ステキな音楽を求めてニューヨークへ、イギリスへと飛び回ってしまうというアキコさんとは、ここでぼくは初めてお会いしました。
トクマルシューゴのこともかなり早い時期から注目されていたそうです。
チケット、ほんとうにありがとうございました。

アキコさんとはみちゃんのユニークな旅の思い出「はみぶろぐ」
http://hamihamihami.blogspot.com/



ライブが始まってみると、meso mesoのyumikoさんはすぐ目の前、3メートルもない至近距離で、スピーカーを通さない生音もしっかり聴こえてきます。

まるで親しい友達の演奏を小さなライブハウスで聴いていると錯覚してしまいそうでしたが、ふと振り返ってみるとリキッドルームははるか後方まで超満員。

とても不思議な気分のまま、これまで動画などを見て期待していたよりもずっと勢いがあってダイナミックな演奏を楽しむことができました。

トクマルさんのギターはもとより、さまざまな楽器を縦横無尽に駆使して組み立てていくアンサンブルのすばらしさ。

とりわけ予想していたよりもはるかにすばらしかったのが、オンで叩きまくる岸田さんのドラムの快感。思いもかけないところで、キース・ムーンのことなど思い出してしまったのです。




ベースラインとオフビートのドラムというポップ・ミュージックの必須アイテムをあえて取り払ってしまったところに生まれた、あくまでもポップでリリカルなみずみずしい音世界。

前にも書いたけれど、「野蛮と洗練を極めた倒錯的世界観」。それがトクマルシューゴの音楽の本質だという予感が当たっていたことを身体で確認できたような気がします。

ライブの中盤、ぼくが気になっていた「SUISHA」の演奏をはじめたトクマルさんはいきなり中断して、「この曲は新しいアルバムに入ってますが、実は9年前に作った曲なんです…。ちょっと言っておきたくて」というようなことをつぶやいてからまた演奏を再会しました。

「10年くらい前」ではなくて、「9年前」に作った曲。

そこにどんな思い入れがあるのかは知る由もありませんが、なんとなく腑に落ちたような思いがしました。

セットリストの詳細などはこちらでご覧いただけます。

【RO69】 2010.06.06 トクマルシューゴ@LIQUIDROOM ebisu
http://ro69.jp/live/detail/35715



ものすごく久しぶりにとてもステキなライブを見た幸せな気分のままわが家に帰って、見つけた動画をひとつ。





ライブを見る前に訪れたばかりの、おなじみの下北沢の街を歩きながら歌うトクマルシューゴとバンドのみなさん。

あれから1週間、まだぼくの耳の中にあのステキな音楽の数々がめぐっています。


シャンソンシゲルさんのイラストTシャツ



開場で購入したシャンソンシゲルさんのイラスト入りTシャツも、すっかりお気に入りになりました。

これから無印良品に行って、CMソングをダウンロードしてみようと思っています。










[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


柳田國男「遠野物語」の100年

2010/06/04 08:02



2010年6月、柳田國男の最も有名な著書「遠野物語」が刊行されてからちょうど100年。

明治43年6月、自費出版でわずか350部ほどが刷られたというこのささやかな東北の小都市の説話集が、柳田國男という近代日本を代表する知の巨人の原点となり、日本民俗学はもとより、この1世紀にわたって思想・文学の世界にどれほどの影響をおよぼしたことか。

そしてぼく個人も、もしこの一冊との出会いがなかったら、などということがもう想像することさえできそうにありません。


遠野物語・山の人生 (岩波文庫)




「遠野物語」についてはもう10年以上前、すでにフリーペーパー文化誌「献血劇場」誌上に連載していた「雨の日の女」で取り上げたことがありました。

「雨の日の女」その29 柳田國男「遠野物語」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/rainyday_29.html

そのときも触れたように、ぼくにとって最初の「遠野物語」との出会いはたしか学校の国語の教科書で、次の一話だったと記憶しています。



小国(をぐに)の三浦某といふは村一の金持なり。
今より二、三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍(ろどん)なりき。
この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗(ふき)を採りに入りしに、よき物少なければしだいに谷奥深く登りたり。
さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。
いぶかしけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くをり、馬舎ありて馬多くをれども、いつかうに人はをらず。つひに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀(ぜんわん)をあまた取り出したり。
奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。
されどもつひに人影なければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。
この事を人に語れども実(まこと)と思ふ者もなかりしが、またある日わが家のカドに出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。
あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。
しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。
家の者もこれを怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。
この家はこれより幸福に向かひ、つひに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガといふ。
マヨヒガに行き当たりたる者は、必ずその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。
女が無慾にて何物をも盗み来ざりしがゆゑに、この椀みづから流れて来たりしなるべしといへり。



ここに描写されている光景が、子供心に何故か異様に印象に残ってしまったこと。

それがすべてのはじまりだったのですが、同じ頃、また別の本で読んだ一節がどこかこれと通じるような気がして、記憶に刻みこまれています。



故、避追はえて、出雲国の肥上河上なる鳥髪の地に降りましき。此の時に、箸其の河より流れ下りき。
ここに、須佐之男命、其の河上に人有りと以為して、尋ね覓ぎ上り往かししかば、老夫と老女と二人在りて、童女を中に置ゑて泣くなり。
爾、「汝等は誰そ。」と問ひ賜へば、其老夫答へて言しけらく、「僕は国神大山上津見神の子なり。僕の名は足上名椎と謂し、妻の名は手上名椎と謂し、女の名は櫛名田比売と謂す。」と、まをしき。



古事記 (岩波文庫)


「古事記」上巻、八岐大蛇退治の序章です。

天津罪を負って高天原を追放された須佐之男命。
とりかえしのつかない喪失感を抱えてたたずむ川辺に流れてきた箸。
上には人がいる、という圧倒的な孤独の中の一縷の希望。
分け入った山の中で出会った老夫婦と少女。

数ある名場面に彩られた日本神話のなかでも、思い返すたびに心の襞に深く深くしみこんでくるような気がしてしまうこの情景を、ぼくは偏愛せずにいられません。

そしてそんな感覚が、「遠野物語」のマヨヒガを読んだ時のそれと重なり合うような気がする。

それはまた、歌の別れを決意し自然主義の勃興する中央文壇から放逐され、辺境の地に息づいていた物語に出会って「其の河上に人有り」と感じたままにこの書を綴った柳田國男、かつての抒情詩人松岡國男その人の姿が須佐之男命に連なる「流され王」の系譜に重なるということかもしれません。

ようするに、ぼくにとっての「遠野物語」は近代日本文学が生んだ「神話」だったのです。


年表をひもとくと、1910年は日韓併合の年。そして「遠野物語」が出版された6月は、大逆事件で幸徳秋水らが検挙された月。

そんな政治と社会の情勢の中で、その序文で「要するにこの書は現在の事実なり」 と宣言した「遠野物語」という神話。

そしてもうひとつ、1910年と聞いて思い起こされるのは、地球がハレー彗星の尾の中を通過するということで、世界の終末までが取り沙汰されたというおはなしです。

76年周期で太陽をめぐるハレー彗星が次に観測された1986年、中学生だったぼくも夜ごと望遠鏡をのぞいてその光芒をながめたものでしたが、そのころには前回のハレー彗星騒動を記憶しているという老人も多く存命していました。

それから、太陽系の彼方へ去ったハレー彗星がさらにその軌道を3分の1めぐったはずの今、あのときの老人たちもほとんどはもうこの世にいないはず。

「神話」との距離を測るのはむずかしい。それで「遠野物語」刊行から100年ということを考えてみても、その時間のパースペクティヴは奇妙に歪んだものに見えてしまいます。

最近、「21世紀になってみると柳田はあまりにも官僚臭が」云々という批判のような言説を目にしました。

けれどそれはむしろ官僚・体制・国家といったものにアレルギーを示す20世紀後半の一時期に特殊な反応ではないでしょうか?


遠野物語



100年目の今、むずかしいことかもしれないけれど、様々なコンテクストの中で多義的な解釈に耐えうるテクスト、神話としての「遠野物語」との距離をもう一度測り直してみたい。

そのためには、まずぼくらの立ち位置そのものを見つめ直すことから始めなければいけないような気がしています。








[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


Just Another Honky - 車椅子のロニー・レーンの思い出とフェイセズの再結成によせて

2010/05/31 00:24



「フェイセズ、ロッド・スチュワートなしで再結成」という音楽ニュースに、思わず反応してしまいました。

http://www.barks.jp/news/?id=1000061465


フェイセズは、ぼくが17歳のころ世界で2番目に大好きだったバンド。

誤解があるといけないので急いで付け加えておくと、ぼくが17歳のころにはとっくに解散していて、当時国内盤ではもう廃盤となっていたアルバムを輸入盤で買い求めては、ラフでルーズなようで時にたまらなく繊細な表情のアンサンブルを聴かせてくれるそのグルーブ感に、すっかり夢中になってしまっていたのです。



You Tube - The Faces / Stay With Me



そういえば以前、浅川マキの歌について触れたときに「フェイセズのソウルフルな英国の抒情性を愛していた高校生の頃」云々と書きましたが、ぼくが彼女の歌のすばらしさに気づいたのは寺山修司周辺のアングラ歌手としてでも、山下洋輔関連のジャズ・シンガーとしてでもなく、多感な年頃に聴いていたフェイセズやロッド・スチュワートの楽曲の日本的な解釈を通してでした。


それはスポットライトではない - 浅川マキを悼んで
http://timeandlove.at.webry.info/201001/article_5.html


「それはスポットライトではない」というバリー・ゴールドバーグとジェリー・ゴフィンによる楽曲を浅川マキはボビー・ブランドのバージョンからカバーしていて、ほぼ同じ時期にロッド・スチュワートが大ヒット・アルバム「アトランティック・クロッシング」で取り上げたのはまったくの偶然だったそうです。

けれどそんなところにも単なる一方的な影響とかではなく、音楽的に通じ合うものがあったことを感じずにはいられません。

初期の「ガソリン・アレイ」などはまだ向こうの楽曲の翻案、という感じがありますが、「それはスポットライトではない」と同じくアルバム「灯ともし頃」に収められた「ジャスト・アナザー・ホンキー」などは、浅川マキの日本語詩バージョンを聴いて、あらためてこの歌にこめられたやるせない抒情性を思い知らされてしまったものでした。


ウー・ラ・ラ(紙ジャケット)


陽気なようでどこかもの哀しいこの抒情性にみちあふれた曲を作ったのは、ベーシストのロニー・レーン。

スモール・フェイセズではスティーブ・マリオット、そしてフェイセズではロッド・スチュワートの影にあって、一見地味だけれど実にいい仕事をしているロニー・レーンの存在が気になってくるころには、もうすっかりその音楽のとりこになってしまっていたのです。


なかでも、「馬の耳に念仏」という邦題がつけられたセカンド・アルバム"A Nod is As Good As a Wink to a Blind Horse"に収められたロニーが歌う3曲、とりわけ"Debris"という曲が大好きでした。



You Tube - Ronnie Lane and Slim Chance / Debris



馬の耳に念仏(紙ジャケットCD)


フェイセズは17歳のころ世界で2番目に大好きだったバンド、と書きましたが、1番はもちろんローリング・ストーンズで、ぼくがフェイセズの音楽に夢中になったころ、ロン・ウッドはすっかりストーンズのギタリストに収まってしまっていたし、ロッドはソロ・アーティストとして大成功、ブロンドがお好きなスーパースターになってしまっていました。

もし何かの拍子にフェイセズの再結成などがあったとしても、難病に冒されてしまったというロニー・レーンの姿がなかったら寂しすぎるな、などと思っていたのです。

それで、1990年にロニー・レーンがまさかの来日公演が実現したときには驚いて、絶対に見逃すものかと思って川崎のクラブ・チッタへ駆けつけました。

ステージの上でも車椅子に乗ったまま、キーボードにイアン・マクレガンを配したバンドを従えて、ロニー・レーンはほんとうにすばらしい音楽を聴かせてくれました。

そのときのことを思うと、いまでも胸が熱くなるような気がするのです。


ロング・プレイヤー(紙ジャケットCD)


スモール・フェイセズ、第一期ジェフ・ベック・グループ、ロニー・レーンに代わってフェイセズに加入した山内テツが在籍していたフリー、ケニー・ジョーンズがキース・ムーン亡きあとに参加したフー、ロニー・レーンのスリム・チャンス、そしてローリング・ストーンズ。

さまざまなブリティッシュ・ロックの人脈が交差するファミリー・ツリーの狭間にできあがったようなバンド、それがフェイセズというグループでした。

そう思うと2010年、ボーカルにシンプリー・レッドのミック・ハックネルを、ベースにはかのセックス・ピストルズをクビになったというグレン・マトロックを迎えた再結成フェイセズというものがあっても、それはそれでいいのかもしれない。

「ジャスト・アナザー・ホンキー」の歌詞ではないけれど、そうしたいなら好きにやってみればいい。かつてのフェイセズとはまた違ったソウルフルな英国の抒情が聴くことだってできるのかもしれません。

けれどとりあえずいまのぼくには、闘病の末1997年6月4日に惜しくも永眠してしまったロニー・レインの存在が1960〜1970年代の英国音楽の中で果たした役割と、20年前の奇跡の来日でその片鱗に触れることができた幸福が偲ばれるばかりなのです。








[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


小池玉緒の歌う「人形劇 三国志」のエンディング・テーマと"Runnin' Away"

2010/05/18 21:20



支那文学の四大古典小説のひとつ「三国志演義」は、近年の「レッドクリフ」などを例に出すまでもなく、いまなおさまざまな形で作品化されて続けているわけですが、ぼくにとっての「三国志」は、まず中学生の頃に読んだ吉川英治の小説。


吉川英治 三国志(一) (講談社文庫)吉川英治 三国志(二) (講談社文庫)吉川英治 三国志(三) (講談社文庫)吉川英治 三国志(四) (講談社文庫)吉川英治 三国志(五) (講談社文庫)
吉川英治「三国志」(講談社文庫版) 全5巻



正直言って、個人的にはそのドラマツルギーにそれほど魅了されたわけではなく、吉川英治の作品の中では「宮本武蔵」や「新平家物語」のほうを好んで読み返したものです。

あえて言えば、数々の名場面よりもむしろこの長編小説のプロローグにあたる部分で、後に蜀漢を興し昭烈皇帝となる劉備玄徳が、広大な支那大陸に悠久の年月にわたって降り注ぐ黄砂によって形成された黄色い大地と黄河の流れに思いを馳せる中、その「黄」の色を旗印に遼原の火のように広がっていく黄巾の乱のようすを綴った、叙景と抒情と叙事の交錯する描写のほうが、強く印象に残っています。


そしてこれを読んでいた頃、ちょうどNHKテレビで放映されていたのが、現在もその完成度が高く評価されている名作「人形劇 三国志」でした。



人形劇 三国志 全集 一巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 二巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 三巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 四巻 [DVD]
人形劇 三国志 全集 五巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 六巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 七巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 八巻 [DVD]

人形劇 三国志 全集 九巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十一巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十二巻 [DVD]
人形劇 三国志 全集 十三巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十四巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十五巻 [DVD]人形劇 三国志 全集 十六巻 [DVD]
人形劇 三国志 全集 [DVD] 全16巻



いまでは全16巻のDVDとなって発売され、30年近く昔の作品でありながら絶賛のコメントが寄せられている作品ですが、当時ぼくがこの番組がテレビで放送されるたびにいつもいちばん楽しみだったのは、実はエンドロールの部分だったのです。



人形劇 三国志 エンドロールのテーマソング



吉川英治「三国志」の冒頭をも思わせる、黄味がかった大地を駆ける騎馬の群像。

同じNHKの「シルクロード」の映像を流用して加工したものとのことですが、その画とあわせて流れる歌と音楽が、たまらなくいい。

まるでラブコメのアニメ・ソングのような歌詞のこの歌が、どうしてこんなに感性を揺さぶってくるのだろう?と、我ながら不思議に思っていたものです。

もちろん、ぼくも時代の子なので、当時流行していたYMOを聴いていなかったわけではありません。

けれど、やがてニール・ヤング経由ではっぴいえんどを聴くようになり、そのソロ活動の変転と系譜をたどるようになってから、たまたま再放送で「人形劇 三国志」を見ていて、その音楽のクレジットに「細野晴臣」の名を見つけて、ものすごく納得してしまったのは、それから数年後のことでした。





この「三国志ラブ・テーマ」を歌った小池玉緒という人のことを、すっかり忘れてしまっていましたが、やはりYMOと絡んで「鏡の中の10月」という曲をリリースしていたり、いくつかのテレビCMに出演したりしていたそうです。

そんな彼女の未発表トラックがYou Tubeにあるのを、たまたま大好きなスライ&ザ・ファミリー・ストーンの傑作アルバム「暴動(There's a Riot Goin' On)」の収録曲"Runnin' Away"を探していて、見つけてしまいました。



You Tube 小池玉緒 / ラニン アウェイ (1983)



もとより、このカバー・ヴァージョンの方がいい、などと言うつもりはありません。

というのは、原曲があまりにも最高だからです。





けれど、オリジナルの歯切れがよくキュートで小粋な感じを絶妙にやわらかくアンニュイな雰囲気に傾斜してみせて、独特な雰囲気を作り出すことに成功した佳い出来だと思います。







[あとで読む] 



記事へトラックバック / コメント


不思議の国の甲賀三郎と春日姫 - 諏訪大社の御柱祭によせて

2010/05/08 17:58



2010年、平成22年は数えで7年目ごとに行われるという諏訪大社の式年造営御柱大祭の年。


諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町
諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町



日本三大奇祭の筆頭に上げられるこの勇壮なお祭りは、4月には上社山出し〜下社山出し、5月のはじめに上社里曳き、5月7日には下社宝殿遷座祭が営まれ、今日5月8日からは下社里曳きがはじまり、今回も痛ましい事故で幾人かの死傷者を出しながらも、大きな盛り上がりを見せているとのこと。

ぼくは残念ながらそのお祭りに参加することもできず、ただニュース映像やライブ動画配信などでそのもようを観ながら、諏訪明神の信仰について思いをめぐらせてみました。




全国に五千以上の分社となる諏訪神社の総本社であり、日本国土の中心に位置するとも言われる信州・諏訪湖の北に下社の春宮・秋宮、南に上社の本宮・前宮の二社四宮を配する諏訪大社。

御柱祭りを筆頭に、諏訪湖の御神渡、耳裂鹿の生贄、あるいは人身御供としての一年神主の伝承などなど。

いくつかの特殊神事できわだった特色が見られるその「お諏訪さま」の信仰は、有史以前に起源を持ち、正確には探るすべもなく、様々な謎に包まれた複雑怪奇なもの。

古事記の記述により、御祭神は国譲りの際にこの地まで追いつめられて服従した建御名方命(たけみなかたのみこと)とされてはいますが、現実の地元諏訪地方の信仰にも神事の内容を記した古文書にも、どうもこの出雲神話の神が重視されているようすは見られず、むしろ縄文時代以来のミシャグジ信仰に由来するものとの解釈が有力なようです。

けれど、ぼくが諏訪明神と聞いてまず思い浮かべるのは、中世に安居院の神道集として編纂された本地垂迹説話集に書きとめられた「諏訪縁起事」に登場する、甲賀三郎と春日姫の伝説なのでした。




安寧天皇より5代の子孫、近江国甲賀権守の三人の子の末子である甲賀三郎諏訪(よりかた)が、大和国を賜り春日姫なる美姫を娶るも、伊吹山の天狗にさらわれて行方を失った春日姫を求めて分け入った蓼科山の人穴から、維縵国へ至る七十余国の地下世界を経巡り、再び地上に現れたときには長い年月の過ぎ去ったあと。身は蛇体となってたものの仏僧の語る話のおかげで人の姿に戻り、三郎の兄・次郎諏任に奪われようとしていた春日姫とも大和の三笠山で再会。その後、支那の平城国に赴いた後に日本に帰り、三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮として顕れ、春日姫は下社の神として顕れた、というあらすじ。


このおはなしは室町時代の「神道集」に記されたばかりではなく、各地の民譚や浄瑠璃など、文献を離れたところでもさまざまなバリエーションとなって口承文芸の世界で生き続け、多くのひとびとに諏訪明神のファンタジーとして愛されてきた形跡が明確に認められます。

迷い込んだ地下の不条理な世界での、シュールレアリスティックな冒険物語。

突飛な空想かもしれませんが、この物語が、ぼくには「2010 年のアリス・イン・ワンダーランド」の頁を書いて以来何度も読み返しているルイス・キャロルの童話「不思議の国のアリス」に描かれた、うさぎ穴に落ち込んだアリスの不思議の国に通じるような気がしてしまうのです。





古代の信仰の遺跡としてばかりではなく、中世から近世へそして現在へと、信濃の諏訪地方はもとより、各地で甲賀三郎の冒険譚をよすがに諏訪明神信仰を伝えてきた人々の心の中も、まるで「アリス」の物語に夢中になってしまう子供のような好奇心でいっぱいだったのではないでしょうか?


そしてもうひとつ、「不思議の国のアリス」を読んで、うさぎを追って穴に落ちて行く少女の物語を読んで連想させられるのは、出雲神話の大国主命のおはなし。

因幡の白うさぎを助けた童話めいた神話で知られる大国主命は、その後兄神たちの虐めを逃れて須佐之男命(すさのをのみこと)の住む根の国へ赴き、そこで須佐之男命の策略に陥れられ、放たれた火に囲まれたとき、「内はほらほら、外はすぶすぶ」というネズミの声にしたがって地面の下の穴に入り込み隠れることができた、という地下の国をモチーフにした冒険譚です。

諏訪大社の御祭神・建御名方命は大国主命の子、などという系譜の上の図式ばかりではなく、この上代の出雲系の神話は、根の国・地下世界の遍歴と通過儀礼としての幾多の試練という構造と、兄たちによる末子の虐待、妻問いなどの諸々の要素で、遠く中世の甲賀三郎の諏訪本地とどこかでつながっているのかもしれません。

ぼくはそのことが、その二つの物語の間に「不思議の国のアリス」のイメージを介在することによって見えてきたような気がするのです。


諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町
諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町



須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりひめのみこと)を連れて根の国から去って行く大国主命に、須佐之男命は「底津磐根に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽たかしりて居れ」という言葉をかけました。

大祓詞など多くの古典にも登場するこの成句を思うと、「柱」という日本神道の重要な呪物は、天にそびえる神さまの依り代でもありますが、むしろ底津磐根、すなわち地下世界との関わりこそが注目されてきます。


諏訪大社の御柱と、伊勢神宮の神秘の核心のひとつでもある心の御柱。

あるいは高天原の神話と出雲神話、ミシャグジ信仰と中世の説話の蛇体の神。

そのほんとうの姿を見定めるには、ぼくらの持つ好奇心を全開にして、深くリゾーム状に入り組んだ地下水脈をたどるように民俗の伝承と民族の潜在意識に分け入って行かなければならないのかもしれません。








[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


鎌倉 鶴岡八幡宮 大銀杏の樹の新芽とひこばえ

2010/05/04 18:06




ぼくは東北地方の出身でもあり、判官びいきでもあるので、義経追討と奥州征伐を行った鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝という人物に対しては、必ずしも好感情を持っていませんでした。

けれど昨年、伊勢神宮への参拝にあたって所功著「伊勢神宮」(講談社学術文庫)を読んでいると、武家政権の基を築いた頼朝公が母方(熱田神宮大宮司)の影響もあって、早くから神社崇敬の念を持っていたことが幸いし、中世以後も神宮の式年造営の継承を可能にした、という歴史を教えられました。






考えてみると、鎌倉という街は実に不思議な街。

三方を山に囲まれ海岸に南面し天然の要塞となる鎌倉市街の都市設計は、支那風の都城に倣った平安京の流れを汲み、中央に若宮大路を敷設しているのですが、京の朱雀大路の果てには天子さまの住まわれる大内裏があるのに対し、この街の極には鶴岡八幡宮という神社、すなわち神さまのお宮があります。

つまりこの鎌倉という都市は、武力によって打ち立てられた新政権の府でありながら、その中心は覇者の住居となる城郭でも政務機関でもなく、八幡さまの神社の門前町として都市設計されていたのです。

このことがその後700年、日本の歴史の半ばを占める武家政治の性格をかたちづくっているのかもしれません。

鎌倉市街の地図を見るたびに、「日本は神の国」ということははるか2600年のむかしにさかのぼってのことだけではなく、中世の歴史にもくっきりと刻み込まれているのを目の当たりにさせられるような思いがするのです。






4月のある日、その鶴岡八幡宮に参詣。ぼくにとっては15年ぶりのお参りでした。


鎌倉 鶴岡八幡宮の御朱印とおみやげの鳩サブレー・クリップ
鎌倉 鶴岡八幡宮の御朱印とおみやげの鳩サブレー・クリップ



子供のころから「義経記」などを愛読して育ったぼくには、鶴岡八幡宮の舞殿を見れば、「しづのをだまき」の歌を詠いながら舞を奉納した白拍子、静御前のまぼろしを思い描かずにはいられません。






鶴岡八幡宮 舞殿



そして本宮へと向かう急斜面の61段の大石段、向かって左手にそびえる樹齢千年の大銀杏の樹は、「金槐和歌集」の万葉調の歌でも名高かった右大臣実朝を暗殺した公暁の隠れ銀杏と伝えられ、この八幡宮のシンボルでもあり、源平盛衰の帰結としての清和源氏嫡流の滅亡、そしてそこからはじまる800年の歴史の象徴でもありました。





そんなシンボリックな銀杏の大木が2010年の3月10日未明、強風に煽られて倒壊してしまったというニュースは、すぐには信じがたく、あのイチョウの木がない鶴岡八幡宮というものをイメージすることすら困難でした。


源実朝ゆかりの「隠れ銀杏」折れる
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/366898/



当初は回復も不可能、と報じられていた大銀杏。


倒壊鎌倉大銀杏「回復は不可能」 県が輪切りなどでの保存を要請
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/367305/



けれど4月になって、大銀杏の根元から、小さな新芽が顔を出し、移植された幹からもひこばえが伸びはじめたという報道が。


鶴岡八幡宮の大銀杏の根元に新芽
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/375666/



ぼくらが訪れたのは、4月23日の金曜日。

いつまでも冷たさが残る、春とは思えない雨の中。

それでも倒れてしまった銀杏の根元からは、いきおいよく緑が芽吹いているようすを見ることができました。


鎌倉 鶴岡八幡宮 倒壊した大銀杏の根元の新芽
鎌倉 鶴岡八幡宮 倒壊した大銀杏の根元の新芽



この若々しい緑の中に、次の世代の大銀杏に育つ新芽がまじっているとするならば、ぼくらは1000年の寿命を生きて歴史を見つめる大銀杏の、ちょうど代替わりに遭遇しているのかもしれません。


静御前の舞った舞殿も、公暁の隠れ銀杏も、鎌倉初期のものがそのまま現在のものではないという説もありますが、歴史を思う縁としてのその存在は何ものにもかえがたいものだと思うのです。

伊勢神宮が式年遷宮を繰り返すことによって再生をし続けていることに象徴されるように、日本の神社というものは単なる古物の博物館ではなく、生命力を持ったまま生き続け、再生していくものなのですから。

そうして大石段の上から雨に煙る街並みと海を眺めながら、いまから800年の後、1000年の後、この鶴岡八幡宮と鎌倉の街はどんなふうになっているだろう?と思いを馳せてみました。


鎌倉 鶴岡八幡宮境内にて
鎌倉 鶴岡八幡宮境内にて



鶴岡八幡宮境内、本宮の脇にそれたかたすみにて写真を一枚。

15年前、同じ場所で撮影した写真がこちらのページに掲載されています。

「雨の日の女」その37*番外編 「牛若丸」と「日本武尊」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/rainyday_37b.html



この15年の歳月の中で、ぼくの中でも一度は折れてしまったけれど、何か新しいひこばえのようなものが芽吹きだしているような気もするのです。












[あとで読む] 
記事へトラックバック / コメント


トクマルシューゴの待望の4thアルバム「PORT ENTROPY」に寄せて

2010/04/26 01:54




トクマルシューゴ「PORT ENTROPY」フライヤー



このブログに「トクマルシューゴ - Rum Hee」の記事を書いて、気になるアーティストとしてご紹介させていただいたのは昨年の7月のこと。

http://timeandlove.at.webry.info/200907/article_4.html

その末尾に書いた部分には、ぼくの容姿をよく知る人たちから口々に「ほんとうに似てる」「そっくり」「本人じゃない?」といった反響をいただいてしまったものです。

それはともかく、その後数ヶ月の間にSONY「VAIO」 CMやバンクーバー・オリンピックのスポット広告での楽曲起用、それに何よりも「無印良品」のBGMで、トクマルシューゴの音楽を耳にしない日はないくらい、おそろしい勢いでメジャーな存在になってしまいました。

10月には吉祥寺の銭湯「弁天湯」でのイベント「風呂ロック」に出演したのを観に行くことができた葉子たちから、やっぱりライブがすごくいいという報告をうらやましく聴きながら、時にはテーマ音楽を手がけているNHK「ニャンちゅうワールド放送局」に出演しているのも欠かさずチェックして、アルバムの完成を楽しみにしていたのです。



ニャンちゅうワールド放送局ーゴーシュ



ちなみに、この「ニャンちゅう」での役名「ゴーシュ」のことを、ぼくはずっと宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」が出典だとばかり思っていたので、最近になってシューゴのズージャ語読みとのダブル・ミーニングだったことに気づきました。

それにしても、トクマルシューゴの音楽の魅力はいったい何だろう?

「だれにも似てなくなくなくなくない♪」と歌う「ニャンちゅう」のエンディングのように、ぼくがこれまで聴いてきた音楽の何かに似ているようで、何にも似ていない。

でもやっぱり、何かに似ているような気もする。

大雑把に、かつての「渋谷系」のリバイバルみたいに言われることもあるようですが、ぼくにはそんな気がしない。

その音楽をどこに位置づけたらいいのか思いあぐねながら、3月には自らオープニング音楽を担当しているNHK「トップランナー」に出演しているのを見て、ちょっとヒントを得たような気がしました。





ホームセンターを訪れて灰皿や植木鉢や食器やらを楽器に見立てるトクマルシューゴ。

スコップを叩いて、「もうちょっと錆びてたほうがいい」とか言いながら物色する彼のリズムに、ぼくは身に覚えがあるような気がしたのです。

それはもう20年くらい前ボ・ガンボスのライブで手のひらが腫れるくらい手拍子を打った記憶のある、ボ・ディドリーのジャングル・ビート、ニューオリンズのセカンド・ラインを思わせるリズムだったのです。

ことさらに、トクマルシューゴの音楽が、直接そんなルーツ・ミュージックを核としていると言いたいわけではありません。

けれど、むかしブルース・インターアクションズ=Pヴァイン・レコードのカタログを宝物の地図のように眺めて、ただ無邪気に未知のリズムを探し求めていた少年の頃のような気持ちにさせてくれるのが、トクマルシューゴの音楽の本質的な楽しみなのだと気づいてしまったのでした。


Gumbo Ya Ya - NewOrleans R&B Hit Parade



たとえば、「ニューオリンズ・ヒット・パレード〜ガンボ・ヤ・ヤ」というLP2枚組の好編集のコンピレーション盤を入手した時など、その中に詰まった音のすべてを浴びるように聴くことが、ただ喜びに満ちあふれていて、ものすごくステキなおもちゃ箱を手に入れた子供のようにうれしくなってしまったことを思い出します。

そしてその中に収められた60年代ニューオリンズのヒット曲の数々は、はかりしれない影響力をポップ・ミュージック・シーンに与えた、発掘されたばかりの宝石の原石のようなものでもありました。


トクマルシューゴのCDの発売元が、かつてブラック・ミュージックを通してぼくらにそんな喜びを与えてくれたPヴァイン・レコードであることが、偶然なのかどうかはわかりません。

けれど、待ち望んでいたトクマルシューゴの新しいアルバム「PORT ENTROPY」も、様々な楽器が織りなすホンキー・トンクな音程と躍動感たっぷりの不思議なリズムとが、どこまでもポップに仕上げられた、期待以上にステキなオモチャ箱みたいな1枚となってぼくらの前に届けられたのです。

そのCDを聴き終えたときの気持ちは、ちょうどむかし「ガンボ・ヤ・ヤ」を聴き終えたときの興奮とそっくりでした。





Twitterでサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんのツイートをフォローしていたら、ニューオリンズ・クラシック・チューンがぎっしりつまったドクター・ジョンの名盤 「GUMBO」を評して、「"IKO IKO"と"BLOW WIND BLOW"を繋ぐピアノが美しい。野蛮と洗練を極めた倒錯的世界観。」とつぶやいていたのが印象に残りました。

野蛮と洗練を極めた倒錯的世界観。

あるいはトクマルシューゴの音楽の魅力も、そんなところにあるのかもしれません。

そして、かつてのニューオリンズR&Bがそうであったように、音楽そのもののアイデアの源泉として、この「PORT ENTROPY」というアルバムが2010年代のマスターピースとなるような予感さえしているところなのです。


関連ニュース - 曽我部恵一×トクマルシューゴの対談公開
http://www.barks.jp/news/?id=1000060085










[あとで読む] 


記事へトラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

◆◇◆ 薬箱手帖 ◆ 稲村光男抒情画工房 ◆◇◆/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]