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もうずいぶん前のことですが、雑誌の版下作りのアルバイトをしていて、数ヶ月のあいだ市ヶ谷の自衛隊駐屯地の坂を上ったところにある東洋最大の印刷会社に通っていたことがあります。 当時はたまたま持ち歩いていた文庫本、海野弘「モダン都市東京―日本の1920年代 けれど、どことなく暗い影のある街だなあ、という印象を持ったことを憶えています。 もとよりぼくはオカルトめいた霊感などを感じることが皆無のひとですが、もしも地霊のようなものに取り憑かれた街があるとしたら、こんなところかもしれない、とさえ思えてしまったのです。 調べてみるとその昔、市ヶ谷監獄の刑場は明治の毒婦・高橋お伝や大逆事件の幸徳秋水をはじめ、多くの罪人たちが処刑された曰く付きの地であったということで、ちょっと納得。 けれどこの街に感じてしまう拭いきれない不吉なイメージの理由は、どうもそれだけではないようです。 そういえば学生のころ、法政大学にライブを見に行ったときなども何か陰惨な気配を感じたような記憶がありますが、それはもしかすると 学園闘争はなやかなりし頃の内ゲバ殺人事件にからむ怨念だったのかもしれません。 また、先の大戦のあとの極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の法廷が設けられ、ぼくがトリビュート・Tシャツ「日本無罪」のイラストを手がけたラダビノード・パール判事による被告人全員無罪の主張も握りつぶされ、7人のいわゆるA級戦犯に対して絞首刑が宣告されたのもこの地でした。 そして何よりも、昭和45年11月25日にこの地で腹を切った三島由紀夫のことに思い当たったとき、その同じ日にこの世に生を受けてしまったぼくは、市ヶ谷の街に感じた何ものかの正体と因縁に出会った気がして、慄然とするような思いがしてしまいまったのです。 ぼくは三島由紀夫の生まれ変わり。などと言ってみたこともありましたが、もちろんはじめは最後の長編小説「豊饒の海 それなのに年を追う毎に、ぼくの思想のおもむくところを三島由紀夫の言葉に照らし合わせてみると、それは冗談ではなくひとつの呪いのようなものかもしれない、という気がしてきました。 今日は39回目の憂国忌。ぼくはまたひとつ彼が自決した年齢に近づきます。 |
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