◆◇◆ 薬箱手帖 ◆ 稲村光男抒情画工房 ◆◇◆

アクセスカウンタ

zoom RSS 坂本龍馬と昭憲皇太后の夢

<<   作成日時 : 2010/01/04 03:55   >>

トラックバック 0 / コメント 0




【坂本龍馬についてのノート その1】


坂本龍馬という人物はかねてより国民的な人気がある幕末の英傑ですが、近頃はまたNHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートしたこともあって、あちこちでその名を耳にするようになりました。

けれど、坂本龍馬の成し遂げたこと・成し遂げようとしたことの歴史的評価をめぐっては、ぼくの意見は世間のそれとはちょっと趣を異にするのではないかと思っていたので、そのことを書き記しておきます。


すでに多くの方が指摘しているように、現代の坂本龍馬のイメージの基調になっているのは明らかに司馬遼太郎が1960年代に著した小説「竜馬がゆく」に描かれた人物像でした。



司馬遼太郎があえてその主人公の名を「龍馬」ではなく「竜馬」の表記としたのは、史実ではなくフィクションの世界のキャラクターであることを明確にしたかったため、というのも有名なおはなしです。

あえて歴史小説の主人公の人名表記にそうした配慮をするという異例の処置も、あらかじめ作者自身が後日その影響力の絶大なることを期してのことだったと思われ、近頃では代表作「坂の上の雲」のドラマ化でも話題になっている司馬遼太郎という文筆家の恐るべき筆力を思い知らされます。

けれどぼくは、いわゆる司馬史観の信奉者ではありません。そのわけは後述します。

もとより、大政奉還の一月後という絶妙のタイミングで志なかばに暗殺されてしまったため、生前より死後にその名が知られるようになった彼の場合、後世に描かれた虚像を振り払い坂本龍馬の人物像を読み解く、といった試みにもそれほど意味があるとは思えません。

歴史的評価を問うならば、生前の些事などよりもむしろ後の時代にどのような意義をもって受け止められたか、ということの方が重要になってくると思うからです。

それならば、司馬遼太郎以前の日本人にとって坂本龍馬のイメージとはどんなものだったのでしょうか?





明治の御代に皇后の位にあり今は天皇とともに明治神宮のご祭神としてお祀りされている昭憲皇太后というお方は、その御真影を拝見してみても、モダン・ガールなどという言葉もなかった時代にはるかにモダンな、むしろ現代的とさえ感じられる洋装・断髪のお姿で、また生涯に3万首以上の歌を詠まれ、「金剛石」「水は器」などの唱歌の作詞者としても記憶される詩人であられた、非常に興味深い女性です。

その昭憲皇太后が明治37年、日露戦争開戦直前のある夜、葉山の御用邸にて夢をご覧になりました。

夢の中には30代の武士が白装束で現れ、「微臣はこの魂魄を皇国海軍の上に宿し必ず勝利へと導き奉る」と奏上。

皇后陛下はその夢の人物が誰かを知らず侍臣にご下問され、献上された坂本龍馬の写真をご覧になり、間違いなくこの人物だと断定された、ということが大きく報道されました。

そのことををきっかけに、坂本龍馬の墓の在る京都霊山護国神社には忠魂碑が建立されています。



この夢の逸話の真偽のほどは定かではありませんが、大切なのはこのエピソードがそれまで無名に近かった幕末の志士・坂本龍馬の名を広く知らしめるとともに、尊王攘夷思想の再認識の気運を高めつつ日本国民の士気を鼓舞し「皇国の興廃この一戦にあり」の檄が象徴する激戦・日本海海戦に勝利、世界史的意味を持つ日露戦争の勝敗を決するに至ったということです。




司馬遼太郎は、「坂の上の雲」は、たしかに未曾有の国難である日露戦争に立ち向かった明治の日本の若き群像を輝かしく描いています。

けれど、その歴史は坂本龍馬とは結びつきません。

昭和の大東亜戦争を否定することで成立し、戦後民主主義の風潮の中でメインストリームとなって迎え入れられた司馬史観は、幕末から昭和にかけての東亜百年戦争という視点を持つ林房雄の「大東亜戦争肯定論」とは対極にあります。



それがぼくの司馬史観に与することのできない理由なのですが、そこでは日露戦争と坂本龍馬が結びつく接点が見失われてしまっているのです。

実際に司馬遼太郎は、もしも龍馬が生きながらえていたならば、明治政府の下で政治家や軍人としてではなく、むしろ実業家として活躍していたのではないか?などと語っているのを読んだことがあります。

時機を察するに長け自由に身を処する策士、現代の坂本龍馬像とはつまるところそんなものなのでしょう。

戦国武将に学ぶビジネス戦略、という類いの俗論と同様、そういう意味での坂本龍馬のイメージなどにはまったく興味を持てそうにありません。

ぼくが評価する坂本龍馬とは、あくまでも「尊王攘夷」の志士なのです。

その活動の軌跡は目先の外国人の殺傷といった「小攘夷」から、天皇陛下を戴く朝廷を中心に据えた国民国家の形成・富国強兵の実現・万国公法に依拠した新たな国際秩序の構築を前提とした「大攘夷」への転換であり、それはとりもなおさず日露戦争へと一直線に連なる憂国の志なのでした。

その歴史の連続性をふまえてみてはじめて、昭憲皇太后の夢に現れた海軍の守護神としての坂本龍馬のイメージこそが腑に落ちるものとなってきます。


それでは、その志は後の大東亜戦争とどのように結びつくのか?ひいてはぼくらが生きる現代の日本国とはどのように関わってくるのか?

それについては、また頁をあらためて綴ってみたいと思います。


>> 【坂本龍馬についてのノート その2】・「坂本龍馬と万国公法」












[あとで読む] 




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
坂本龍馬と昭憲皇太后の夢 ◆◇◆ 薬箱手帖 ◆ 稲村光男抒情画工房 ◆◇◆/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる