|
近ごろ広まった都市伝説のひとつに「小さいおじさんの妖精の棲む神社」があって、そこへお参りをした芸能人がその「小さいおじさんの妖精」を連れ帰った、などという発言をして話題になっているということを聞きました。 テレビ都市伝説『小さいおじさん』の謎に迫る http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20080908/Cyzo_200809_post_921.html 「小さいおじさんの妖精」が住む神社? 東京・杉並区「大宮八幡宮」には天女目撃談も http://www.myspiritual.jp/2010/04/post-1291.html 怪異譚の類いは好きですが、昔からぼくは幽霊とか妖精など本気で信じるつもりはまるでありませんでした。 ましてやコナン・ドイルがだまされたコティングリーの少女と妖精のどう見ても合成でしかありえないインチキ写真にうっとりして、「わたしも小さな妖精に出会ったことがあるんです」などと語る不思議少女に対しては、「寝言は寝て言え」という言葉しか出てきません。 ぼくが直接聞いた体験談の中ではただひとつ、東北のある旧家で幼いころ甲冑を着た武士のまぼろしを見たことがあって、後になって気づいたのはそこが盛岡市前九年という地名がいまも残る1000年前の古戦場跡だった、というおはなしのことだけが、なんだか妙に気になっていました。 思えば、ようするにぼくが関心を寄せる怪異とは、超自然現象ではなく、民俗の潜在意識に眠る共同幻想の具現としてのそれだったのです。 上のリンク先にもあるように、テレビではあえて「東京の中心の神社」などとぼかした表現だったそうですが、件の「小さいおじさんの妖精が棲む神社」は「東京のへそ」というキャッチコピーを持つ杉並の大宮八幡宮にまちがいないだろうと、ほぼ特定されているようです。 そんなわけで、まだ行ったことのない神社を訪れたいというぼくと、ふだんは神社などへお参りすることもないけれど心を清めてみたいという知人と、せっかくだからこの噂の杉並の大宮八幡宮へ参詣してみようということになりました。 武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれた杉並の大宮八幡宮は、いただいた御朱印にも「武蔵國八幡一之宮」とあり、東京都内で3番目の広さの境内を持つ大きなお宮。 東京の八幡宮と言えば江戸最大と言われる深川の富岡八幡宮のイメージが強かったので、比較的なじみの深い杉並区にこんな立派な神社があったことに、今回あらためて気づかされたのです。 杉並大宮八幡宮の御由緒をひもとくと、源頼義・義家父子による前九年・後三年の役にころに京都・石清水八幡宮より勧請されたことに由来するとのこと。 さらにこの付近には、古墳や先史時代の祭祀遺跡も見られ、神社の創建よりもはるかに遡る太古からの聖地でもあったもようです。 もとより、流行のパワースポットの話題作りでしかないかもしれない「小さなおじさんの妖精」などという都市伝説の謂れを真面目に詮索しても詮無きことだとは思うのですが、あえてそのイメージの源泉はどこにあるのか、思いをめぐらせてみました。 そこですぐに思い浮かぶのは、アイヌの伝承に登場する小人「コロポックル」のイメージ。 明治時代にわが国の黎明期の人類学界で大論争となった「コロポックル論争」を思い起こすと、小さき人とはアイヌ〜古代の蝦夷に連なる先住民の幻影なのかもしれません。 もうひとつ、日本神話の中に登場する小さな神さまといえば、常世の國からやってきて大国主命の国造りに力を貸したという少彦名命(すくなびこなのみこと)。 神産巣日神(かみむすびのかみ)の指の間からこぼれ落ちるようにして生まれ、ガガイモの殻でできた船に乗ってこの国に現れ、粟の茎にはじかれてまた常世の國へ去ったという小人神のことです。 この大宮八幡宮は八幡さまであるから、出雲神話の少彦名命とは関係がないかも、と思っていましたが、八幡神としてお祀りされている応神天皇へ、御母であらせられる神功皇后が次のような歌を奉ったとあることを思い出しました。 この御酒は わが御酒ならず 酒の司 ここには少名御神として歌われているスクナビコナの神。 崇神天皇の御代には、同じ内容の歌が大和なる三輪山の大物主神について詠まれていますが、いずれにしてもそれは国つ神、「国譲り」をしてどこかへ去って行った先住民の存在が強烈に意識された呪術的歌謡にちがいありません。 かつて明確な学術的根拠も曖昧なままにこの国の先住民が小人だったとする「コロポックル論争」が学会で長く唱えられたのにも、この神話と上代史に登場するスクナビコナのイメージが影響していたような気がします。 してみると、蝦夷征伐の功を立てた河内源氏により創建されたという神社に鎮められているであろう東国の先住民族へのおぼろげな印象が、「小さなおじさんの妖精」として、間歇遺伝のように現代の都市伝説にどこか影を落としているのかもしれません。 そんな想像をめぐらせながら訪れた春のうららかな日の杉並大宮八幡宮は、ちょうど安産祈願や子育厄除に吉とされる戌の日でもあり、たくさんの住民に愛される神社として生活の中に息づいているようすがうかがわれました。 もちろん、ぼくには「小さなおじさんの妖精」など感じることができません。 けれど、あるいはここに初宮参り連れられてきた子供たちは、この神域のどこかに眠っているそんなイメージを連れ帰り、いつの日か感じとることができることもあるのでしょうか? |
| << 前記事(2010/04/19) | ブログのトップへ | 後記事(2010/04/26) >> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| << 前記事(2010/04/19) | ブログのトップへ | 後記事(2010/04/26) >> |