硫黄島の英霊




3月17日。わが家へ帰宅すると、葉子が「今日はおじいちゃんの命日」と言いました。

昭和20年、硫黄島の戦いに戦死した義祖父。その正確な最期のようすはもはや知るすべもないのですが、聞けば栗林忠道陸軍中将が大本営に訣別の電文を打電し、総攻撃を敢行したこの日を命日としているとのこと。

わが家にお祀りしている遺影には、水に不自由しながらもっとも苦しいたたかいを戦った祖父を偲び、いつもは葉子がコップに一杯のお水をお供えしているのですが、この日はめずらしくぼくがそのお水を新しいものに替え、合掌しました。

硫黄島に戦死した祖父の遺影


奇しくも義父母は今週、その戦いを描いた映画「硫黄島からの手紙」の無料鑑賞券をたまたま手に入れたのですが、結局観に行くのはやめにしたそうです。

栗林中将が家族に書き送った手紙をモチーフにしているという「硫黄島からの手紙」ですが、実はぼくもまだきちんと観たことがありません。

父親たちの星条旗」と抱き合わせのアメリカ映画というだけでうんざりしてしまうのです。

たとえば靖国神社へ詣でて、一切の脚色抜きで残されたその手紙を読むこと。
それだけで十分なのではないでしょうか?


「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」
「玉砕総指揮官」の絵手紙 栗林忠道(小学館文庫)

栗林忠道陸軍中将



もうひとつ付け加えておくならば、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の2作品に黒人兵士が出てこないとスパイク・リーがクレームをつけて、クリント・イーストウッド監督は人種差別主義者であると糾弾したことがありましたが、ぼくは心底からあきれかえってしまいました。

「硫黄島の洞窟内から戦後米兵により持ち去られた日本兵の頭蓋骨は壱千個にもなる。彼等はそれでロウソク立て、灰皿やペン皿を作ったといわれ、また硫黄島で戦死した日本兵の頭蓋骨と称するものが、ロサンゼルスの骨董店で一個二十五ドルで売られていた。」
硫黄島いまだ玉砕せず 上坂冬子 (ワックBUNKO)

1944年5月の「ライフ」誌に掲載された有名な写真を思わせるようなおぞましい蛮行が行われ、まるでネズミを駆除するかのように火炎放射器を用いて黄色い人間たちを殲滅したあの戦場に黒人兵が参加していたなら、それは名誉なことだと、スパイク・リーは本気で思っているのでしょうか?

それが人種差別とどんな関係にあるのか想像することもできないで「ドゥ・ザ・ライト・シング」なんて、正気だったのでしょうか?

ぼくはそんなバカな国に生まれなくて本当によかったと思います。


「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニアリ」という言葉を実行した栗林中将、そしてぼくの義祖父をはじめ、20,129柱とも言われる硫黄島に果てた英霊の末裔として、恥ずかしいことのないようにしたいと思うのです。






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