溝口健二の映画「雨月物語」とフェリーニの「道」





火曜日はBSで良さそうな映画をやるみたいだから早く帰って来れたらいいね、と言われていたのを思い出して、その日は急いで帰って、いつもより灯りを暗くして間接照明だけで夕ご飯を食べながらテレビを観ました。

映画は、溝口健二監督作品「雨月物語」。


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良かった。久しぶりに心から魅きつけられて、打ちのめされるような思いがしました。


ぼくは映画のことにはとても疎いので、溝口健二の作品をきちんと通して観るのも初めてで、ただ断片的に紹介された映像などを見てきれいだな、いい雰囲気だな、と思って気になっていたくらいでした。

そしてなによりも「雨月物語」と聞いて観てみようという気になったのは、学生のころに原文で読んでみてから、上田秋成の原作にあまりにも多くの思い入れがあったからです。


上田秋成 雨月物語 上 講談社学術文庫 487上田秋成 雨月物語 下    講談社学術文庫 488
上田秋成「雨月物語」



読み返すたび、思い返すたびにその幽玄にして鮮烈な作品世界全体から、一字一句にいたるまでの完璧なすばらしさに幻惑されてしまう、まちがいなく近世日本の最高峰と言うべき名作怪異譚短編集。

溝口健二の「雨月物語」は、その9つのおはなしの中から、とりわけ印象の深い「蛇性の婬」「浅茅が宿」の2話をとりあげてブレンドしてあらすじを組み立て、モーパッサンの「勲章」などの要素も織り込んで、設定を戦国の世の近江の湖畔にかえてかなり大胆に、自由にアレンジを施した川口松太郎の脚本によるものでした。

けれど表面的なストーリーを忠実になぞっているかなどということとはまったく違った次元で、映画は原作に迫るほどの魅力と感動を持ってぼくをとらえてしまったのです。

秋成の「雨月物語」は、多くの古典や民譚や支那の白話小説などを下敷きにしながらも決してその出典に寄りかかることなく、誰にも追随できない完成度を誇っています。

あるいはこの映画はその姿勢においていちばんよく原作に通じているのかもしれません。





まさに「蛇性」そのものを視覚化していて鳥肌が立ってしまいそうな京マチ子扮する若狭姫の妖艶な演技。

田中絹代演じる宮木の奥行きのある抒情性がにじみ出てくるたたずまい。あるいは水戸光子の演じる阿浜の情念と強靭な生命力。

リアリズム描写と幻想世界と。

その二つの世界を、霧の琵琶湖のシーンや、朽木屋敷に灯りがともされていくシーンの息をのむような美しさで画してみせる、夢幻能の影を色濃く感じる演出。

物語のラストで主人公の胸に去来しているであろうその二つの世界の相克を思い計っていると、まるで虫けらのように小さな存在の人間が生きるということで抱え込みうる心の重さと深さ、その底知れなさを思い知らされながら、こんな感覚の映画を前にも観たことがあるのを思い出しました。




イタリア映画、フェデリコ・フェリーニの「道」

ぼくが知っている数少ない名画のひとつで、わが家でいちばんのお気に入りの作品。やはり幻想とリアリズムが絶妙に交錯するこの作品のラスト・シーンで、捨て去ってしまったジェルソミーナのメロディを耳にして、彼女の死を知った大道芸人ザンパノが慟哭するのを観たときのたまらない感情によく似ているような気がしたのです。


ぼくはほんとうに映画のことはよく知らないので、黒澤明や小津安二郎ほどにはその名前を耳にしない溝口健二という監督が実は海外でも圧倒的な評価を得ていて、ジャン・リュック・ゴダールも「あなたの好きな映画監督を3人あげるならば?」 と問われて 「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたというエピソードくらいは聞いたことがありましたが、ヌーヴェルヴァーグにも大きな影響を与えたというその真価については、今回初めて認識しました。

調べてみると、ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞やアカデミー賞外国語映画賞を獲得したフェリーニの「道」が1954年の作品で、溝口健二の「雨月物語」が同じくベニスの国際映画祭でサンマルコ銀獅子賞1位を獲得したのがその前年の1953年、とのこと。

これはしろうと考えにすぎないのかもしれませんが、溝口健二の「雨月物語」に影響されて、日本の怪異文学のエッセンスがフェリーニの映画作品に流れ込んでいるような気がしてしまうのです。

果たしてそんな可能性はありえないものなのでしょうか?



You Tube / Ug_tsu (1953)

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