天長祭と七人のサムライ




12月23日といえば、今上天皇陛下の御誕生日。

国民の祝日であるこの日、皇居では祝賀の儀や一般参賀が催され、伊勢神宮をはじめ全国の神社では天長祭が執り行われ、国を挙げてお祝いしご長寿をお祈りするおめでたい日。

それなのに、ぼくはちょっと複雑な思いを抱かずにはいられません。

先の大戦の後に開かれた極東国際軍事裁判で、インド代表のラダビノード・パール判事が法廷そのものの欺瞞性を指摘し被告人全員無罪を主張したにもかかわらず、7人のいわゆるA級戦犯に絞首刑の判決が下されました。

その刑の執行日に選ばれたのが、こともあろうに当時皇太子であられた継宮明仁親王の御誕生日。

つまりこの平成の御代の天長節である12月23日は、そしてぼくらがいま生きているこの時代は、あらかじめ戦勝国によって呪われたものだったのです。

政治的な思惑から昭和天皇を戦争犯罪人として訴追することはあえて忌避する、そのかわりにこんな形で日本国の祝祭日を穢してみせるというやり方。

これこそが「人道に対する罪」なのではないか?とさえ思われてきます。

昭和23年12月23日未明に処刑された7人の遺骨は、遺族への引き渡しも拒絶され、どのように処理されたかもいまだ明らかにされていません。全て粉砕し太平洋上に投棄されたという説もあるようです。

そんな惨い処置に耐えられず、クリスマス・イブで警戒が手薄になる隙をついて火葬場から遺骨を盗み出すという命がけの危険を冒した人々がいました。

米兵によって砕かれて混じり合ってしまいながらも、辛くも奪取できた骨壺一つ分ほどの遺骨は、はじめ松井石根大将が建立した伊豆山中の興亜観音に隠匿され、後に愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山に「殉国七士廟」という名のお墓が設けられ、それから毎年4月29日、昭和天皇の御誕生日に慰霊祭が営まれているということです。


http://www.1gen.jp/GDOH/SITISI/SITISI.HTM


http://www.geocities.jp/bane2161/jyunkoku7si.html



正直言って、「殉国七士」という呼び名には、なんだか忠臣蔵みたいに時代がかった、芝居がかったような響きも感じてしまいます。

けれど、わずか60年ほど前のこの国で、ただ指導者たちの遺骨を葬りお祀りするというだけのことでそれほどまでにたいへんな、決死の思いの行動があったということは、もっと世に知られるべきではないかと思います。

そして、東京裁判というものはパール判事が喝破したとおり、法の裁きなどではなく、忠臣蔵などよりもずっと野蛮な復讐劇に過ぎなかったということを。


日本無罪 パール判事トリビュート・イラスト



そんな思いも込めて、ぼくが手がけた「日本無罪」Tシャツのパール判事トリビュート・イラストの中には、正義の女神の絵の左手に、昭和23年のこの日巣鴨で処刑された7人の肖像を配しました。

上から順に、東條英樹、広田弘毅、武藤章、板垣征四郎、土肥原賢二、木村兵太郎、松井石根。

それぞれ別のところで、別のやり方で日本国のために尽くし、天皇陛下万歳を唱えて同じ刑場に散った7人の士に捧げる意味も込めています。


日本無罪 ~パール判事トリビュートTシャツ

リメンバー・パール判事 - remember justice radhabinod Pal -







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