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みんなの「文学」ブログ


アリス チェスタートン 柳田國男

2010/06/15 02:15




また「アリス」の絵を描いてみよう。

そう思って、参考にと昔の「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号を書棚から出してきたら、ギルバート・キース・チェスタートンの評論「ノンセンスの擁護」に読み耽ってしまい、絵はちっとも進まなくなってしまいました。


「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号



「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号は、1970年代の「不思議の国のアリス」再評価のムーブメントの中心となった1冊。

むかし読んだときはよくわからなかったけれど、そこに収められた「ノンセンスの擁護」のチェスタートンの文章力があまりにもすごすぎて、すっかり幻惑されてしまったのです。


われらの住まうこの薄明の世界をいかに受けとるべきか。これには永遠に拮抗する二つの見方があろう。
つまり、夕暮の薄明と見るか、朝まだきの薄明と見るかだ。
…(中略)…
「人間とは、あらゆる時代の末端の相続人」なり、と思い知るのが人間のためになることは、大方の認めるところだ。
それほど一般受けはしないけれど、劣らず重要なのは、こう思い知ることだ。
---人間とは先祖、それもあらゆる時代を遡った始源の昔に位置する先祖なり、と。
これまた人間にとって良い薬である。
もしかしたら自分は英雄ではないのかと思いを馳せ、ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのかといぶかって心高まる思いを味わう、人間たるものそうあってしかるべきであろう。


このおそるべき文体によく似た何かを、他にもどこかで読んだことがあるような気がする。

そう思って記憶をたどってみて、初期の柳田國男のつぎのような文章に思い当たりました。


小生は以前苅田嶽に登りて天道の威力に戦慄し、鵜戸の神窟に詣でて海童の宮近しと感じ、木曾の檜原の風の音を聞きて、昔岩角に馬蹄を轟かせて狩をせしは自分なりしように思い候ひし、あの折の心持ちを成るべく甦らせて昔のことを攻究致し候ひしかば、…(中略)…猶不可測に対する畏怖と悃情とを抱くことを得候ひき。


名著「遠野物語」と同じ明治43年に上梓された、黎明期の日本民俗学の重要な文献「石神問答」の中の一節です。

たしかに、ここには「ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのか」という思いにとらわれた一人の詩人の昂揚するたましいがありました。


現在も読み継がれる推理小説「ブラウン神父」シリーズの作者でもあり、英国保守思想のイデオローグとしても知られるG.K.チェスタートンと、わが柳田國男とは1歳違いの同時代人。

その影響関係のことについて誰かが言及していたはず、と思って検索してみたのですがすぐにはそれらしいコンテンツが見つからず、そのかわり自分が昔綴った文章が出てきてしまいました。


【薬箱手帖】 クマグスとキンクス
http://timeandlove.at.webry.info/200904/article_1.html


この中で、ぼくは次のようなチェスタートンの一節を引用しています。


民主主義、民主主義と言うが、生きている人だけが票で決めるのである。 これは仕方ないかもしれないが、我々は、我々の先祖という死者を抱えている。 死者の意見もやはり聞かなくてはならない






チェスタートンの名著「正統とは何か」の核心となる、「死者の民主主義」の思想。


伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。
死者の民主主義なのだ。
単にたまたま今生きて動いてるというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。
伝統はこれに屈服することを許さない。


これとぴったり重なり合う提言が、やはり若き日の柳田國男が農商務省のエリート官僚として記述した「時代ト農政」という著作に見られることにひどく興味をおぼえて、ずっと前にもこの二人のつながりについて考えてみたことがあったのを思い出しました。


国家ハ現在生活スル国民ノミヲ以テ構成ストハ云ヒ難シ、死シ去リタル我々ノ祖先モ国民ナリ、其希望モ容レサルヘカラス、国家ハ永遠ノモノナレハ、将来生レ出ツヘキ我々ノ子孫モ国民ナリ、其利益モ保護セサルヘカラス。



陳腐で凡庸で過酷で抑圧的な民主主義が支配するこの世界において、祖先を国家共同体の構成員としてカウントしてみせるという反近代的考察。

まるで華麗な反則技のようにすばらしいこのアイディアが二人に共通して見られるのは、影響関係というよりはむしろシンクロニシティではないかと思われます。

それは保守主義というカテゴライズでとらえるよりもむしろ、気が遠くなりそうなくらい壮大なロマンティシズムと受けとめるべき心性なのかもしれません。


ギルバート・キース・チェスタートン 正気と狂気の間―社会・政治論


バーナード・ショーやH・G・ウェルズらの進歩主義と敵対したチェスタートン。

田山花袋や島崎藤村の自然主義と袂を袂を分かった柳田國男。

そしてそれよりもさらに興味深いのは、この思想の上に立つチェスタートンがその価値を見いだして擁護を宣言してみせたのがエドワード・リアの詩やルイス・キャロルの童話といったノンセンス文学であり、柳田國男が「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と宣言して格調高く書き綴ったのが顧みられることなく忘れ去られようとしていた民間伝承の世界の叙述であったということ。


「遠野物語」とは、明治末年の日本で、類いまれな知性と感性を抱えて歌に別れを告げたばかりの抒情詩人が出会ったアリスの不思議の国の物語だったのかもしれない。

もしくは、アリスという少女は英国ヴィクトリア朝の論理学者の目の前にあらわれた一人の座敷童子であったのかもしれません。



悪気はないのだが、ものごとの論理的側面を研究しただけで「信仰なんてノンセンスだ」と断言した人がいる。
自分がどんなに深い真実を語ったか、御本人は御存知ないのだ。
まあ、時いたれば、同じ言葉がひとひねりされて、彼の脳裏に甦るかもしれぬ
---ノンセンスとは、信仰だ、と。



2010年6月14日は、「遠野物語」はわずか350部の自費出版で刊行されてからちょうど100年の日。

偶然ですが、この日はギルバート・キース・チェスタートンの祥月命日でもありました。








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柳田國男「遠野物語」の100年

2010/06/04 08:02



2010年6月、柳田國男の最も有名な著書「遠野物語」が刊行されてからちょうど100年。

明治43年6月、自費出版でわずか350部ほどが刷られたというこのささやかな東北の小都市の説話集が、柳田國男という近代日本を代表する知の巨人の原点となり、日本民俗学はもとより、この1世紀にわたって思想・文学の世界にどれほどの影響をおよぼしたことか。

そしてぼく個人も、もしこの一冊との出会いがなかったら、などということがもう想像することさえできそうにありません。


遠野物語・山の人生 (岩波文庫)




「遠野物語」についてはもう10年以上前、すでにフリーペーパー文化誌「献血劇場」誌上に連載していた「雨の日の女」で取り上げたことがありました。

「雨の日の女」その29 柳田國男「遠野物語」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/rainyday_29.html

そのときも触れたように、ぼくにとって最初の「遠野物語」との出会いはたしか学校の国語の教科書で、次の一話だったと記憶しています。



小国(をぐに)の三浦某といふは村一の金持なり。
今より二、三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍(ろどん)なりき。
この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗(ふき)を採りに入りしに、よき物少なければしだいに谷奥深く登りたり。
さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。
いぶかしけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くをり、馬舎ありて馬多くをれども、いつかうに人はをらず。つひに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀(ぜんわん)をあまた取り出したり。
奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。
されどもつひに人影なければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。
この事を人に語れども実(まこと)と思ふ者もなかりしが、またある日わが家のカドに出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。
あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。
しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。
家の者もこれを怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。
この家はこれより幸福に向かひ、つひに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガといふ。
マヨヒガに行き当たりたる者は、必ずその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。
女が無慾にて何物をも盗み来ざりしがゆゑに、この椀みづから流れて来たりしなるべしといへり。



ここに描写されている光景が、子供心に何故か異様に印象に残ってしまったこと。

それがすべてのはじまりだったのですが、同じ頃、また別の本で読んだ一節がどこかこれと通じるような気がして、記憶に刻みこまれています。



故、避追はえて、出雲国の肥上河上なる鳥髪の地に降りましき。此の時に、箸其の河より流れ下りき。
ここに、須佐之男命、其の河上に人有りと以為して、尋ね覓ぎ上り往かししかば、老夫と老女と二人在りて、童女を中に置ゑて泣くなり。
爾、「汝等は誰そ。」と問ひ賜へば、其老夫答へて言しけらく、「僕は国神大山上津見神の子なり。僕の名は足上名椎と謂し、妻の名は手上名椎と謂し、女の名は櫛名田比売と謂す。」と、まをしき。



古事記 (岩波文庫)


「古事記」上巻、八岐大蛇退治の序章です。

天津罪を負って高天原を追放された須佐之男命。
とりかえしのつかない喪失感を抱えてたたずむ川辺に流れてきた箸。
上には人がいる、という圧倒的な孤独の中の一縷の希望。
分け入った山の中で出会った老夫婦と少女。

数ある名場面に彩られた日本神話のなかでも、思い返すたびに心の襞に深く深くしみこんでくるような気がしてしまうこの情景を、ぼくは偏愛せずにいられません。

そしてそんな感覚が、「遠野物語」のマヨヒガを読んだ時のそれと重なり合うような気がする。

それはまた、歌の別れを決意し自然主義の勃興する中央文壇から放逐され、辺境の地に息づいていた物語に出会って「其の河上に人有り」と感じたままにこの書を綴った柳田國男、かつての抒情詩人松岡國男その人の姿が須佐之男命に連なる「流され王」の系譜に重なるということかもしれません。

ようするに、ぼくにとっての「遠野物語」は近代日本文学が生んだ「神話」だったのです。


年表をひもとくと、1910年は日韓併合の年。そして「遠野物語」が出版された6月は、大逆事件で幸徳秋水らが検挙された月。

そんな政治と社会の情勢の中で、その序文で「要するにこの書は現在の事実なり」 と宣言した「遠野物語」という神話。

そしてもうひとつ、1910年と聞いて思い起こされるのは、地球がハレー彗星の尾の中を通過するということで、世界の終末までが取り沙汰されたというおはなしです。

76年周期で太陽をめぐるハレー彗星が次に観測された1986年、中学生だったぼくも夜ごと望遠鏡をのぞいてその光芒をながめたものでしたが、そのころには前回のハレー彗星騒動を記憶しているという老人も多く存命していました。

それから、太陽系の彼方へ去ったハレー彗星がさらにその軌道を3分の1めぐったはずの今、あのときの老人たちもほとんどはもうこの世にいないはず。

「神話」との距離を測るのはむずかしい。それで「遠野物語」刊行から100年ということを考えてみても、その時間のパースペクティヴは奇妙に歪んだものに見えてしまいます。

最近、「21世紀になってみると柳田はあまりにも官僚臭が」云々という批判のような言説を目にしました。

けれどそれはむしろ官僚・体制・国家といったものにアレルギーを示す20世紀後半の一時期に特殊な反応ではないでしょうか?


遠野物語



100年目の今、むずかしいことかもしれないけれど、様々なコンテクストの中で多義的な解釈に耐えうるテクスト、神話としての「遠野物語」との距離をもう一度測り直してみたい。

そのためには、まずぼくらの立ち位置そのものを見つめ直すことから始めなければいけないような気がしています。








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小村雪岱の「文学としてのデザイン」 〜北浦和・埼玉県近代美術館の小村雪岱展に寄せて

2010/02/01 04:26



日本人で最もすぐれたグラフィック・デザイナーは?という問いには、まず第一に小村雪岱の名を挙げたいと、ぼくは常々思っていました。

けれど、世間で小村雪岱の名前を耳にすることはほとんどありません。雪岱(せったい)の名の読み方さえ知られていないのではないのでしょうか?

最近では「芸術新潮」2010年02月号で雪岱のことを大特集している、というのでさっそくAmazonで見てみたら、内容説明の欄に「特集・小松雪岱 を知っていますか? 」と、名字をまちがえて記載している有様です。





この誤植はもちろん芸術新潮ではなくAmazonの側の単純なミスですが、そもそも一般誌ではなく芸術雑誌が特集を組むにあたって「知っていますか?」という問いかけから始めなければならないあたり、いかに小村雪岱のすばらしい仕事が忘れ去られているかを物語っていると思われます。

ともあれ、この「芸術新潮」の他にも、少し前には「版画芸術」でも雪岱の特集号が出て、未見ですが「サライ」などでも取り上げられていたそうで、ここへきてようやく小村雪岱の再評価の気運が高まりつつあるもよう。

遅ればせながらではあるけれど、喜ばしいことだと思います。





ぼくが初めて小村雪岱を知ったのは、たしか「芸術生活」という雑誌が1970年代に出版した「さしえの黄金時代」という特集号を古本屋さんで買ってきたとき。

邦枝完二の小説「おせん」の挿画などを見て、ビアズリーにまさるとも劣らないほど暴力的なまでに斬新な画面構成でデザインされた白黒のシンプルな絵に、腰を抜かすほどびっくりしたものでした。

装丁の仕事では、泉鏡花の「日本橋」などが名高く、ぼくは復刻本でしか持っていないこの雪岱装画の鏡花本の初版本は、本物が古書展などに出てもちょっと手のでない高嶺の花で、指をくわえてみていたものです。

先日「新潮文庫のアリス」のページで触れた金子國義先生もやはり小村雪岱をリスペクトしておられて、今では金子先生がデザインを手がけた雪岱画のTシャツなどというものも発売されているようですが、神田神保町のご自身のギャラリー「美術倶楽部ひぐらし」をオープンされたばかりのころお邪魔してみると、この本物の鏡花本が飾ってあるのがまず目にとびこんできて、とてもうらやましく眺めさせていただいたことなども、なつかしく思い出されてきました。


小村雪岱の「青柳」
小村雪岱「青柳」 埼玉県近代美術館所蔵



暴力的なまでに斬新、と先に書きましたが、それと同時になつかしさと気品が同居している不思議な世界。

好きな絵はたくさんありますが、三味線と鼓が置かれた誰もいない部屋が描かれた「青柳」のような作品がとりわけすばらしい。

そういえば、小村雪岱が師事した日本画家・松岡映丘は民俗学者・柳田國男翁の実弟でした。

そんなことから思い出したのですが、子どものころ「遠野物語」を読んで、山奥深く迷い込んでたどりついた「迷い家(マヨヒガ)」で、座敷には綺麗な食器が多数並べ出されており、火鉢の火はついたままで、囲炉裏には沸いたばかりのお湯がかけてある。しかし、人は誰ひとりおらず、呼びかけても応える者はない、といった描写に出会い、何とも言えない不思議な気持ちになったことがあります。

小村雪岱の「青柳」にもどこかその「マヨヒガ」の話と似たような感覚を憶えてしまうのです。

「遠野物語」が民俗資料であると同時に比類なき文学作品であったのと同じように、雪岱の仕事に触れて思うのは「文学としてのデザイン」ということ。


実際に、小村雪岱の文筆の仕事は「日本橋檜物町」という文集にまとめられています。

なかでも、興福寺の阿修羅像と同じ容貌の女に出会った話など、文学作品としても一級品だと思います。

そしてそこに「自分の描く人物に個性はいらない。個性のない仏像のような人物を描きたい」という雪岱の画業の上での思想も織り込まれているのにも、非常に刺激を受けました。





北浦和にある埼玉県近代美術館では、2010年2月14日まで「小村雪岱とその時代 粋でモダンで繊細で」と題した企画展が行われています。

ぼくは以前この埼玉県近代美術館がある北浦和公演のすぐそばで暮らしていたのですが、昔も今も、いつもユニークな企画展を開いている美術館です。

ただし、その「近代美術」という性格上、反近代的な人間であるぼくのような者の琴線に触れる企画は、残念ながらそう多くはありませんでした。

そんな中、小村雪岱の出身地が埼玉県川越市であったという縁から、なつかしいけれどモダンな雪岱の仕事の評価に関してはどこよりも熱心で、「青柳」をはじめとする雪岱画の多くも所蔵されていることが、ぼくにとってはこの美術館のいちばんの目玉だったのです。


埼玉県近代美術館 「小村雪岱とその時代」展
埼玉県近代美術館 「小村雪岱とその時代」



今回の「小村雪岱とその時代」展も、力が入っていないわけはありません。

この機会にぜひ多くの方に、小村雪岱の「文学としてのデザイン」の世界に触れてみてほしいと思います。







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新潮文庫のアリスと金子國義先生のこと

2010/01/28 04:06



いま全国の書店で容易に入手できる新潮文庫版の矢川澄子訳 「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の挿画は金子國義が手がけたもので、その装丁を眺めていて久しぶりに金子先生のことを思い出しました。





もう10年かそれ以上前のことで、おそらく先生ご本人のご記憶にも残ってはいないかもしれませんが、ご縁があって高名な画家である金子國義先生としばしばお会いしていた時期がありました。

それは絵のファンとしてではなく、偶然の機会でのめぐり会いだったのですが、もとからぼくはポール・デルヴォーのような画風や小村雪岱のデザイン・センスが大好きだったので、もちろん金子先生の作品が嫌いなわけはありません。

けれどそれ以上にいまでも印象深く記憶しているのは、金子國義という人物の不思議な存在感でした。


澁澤龍彦が三島由紀夫の思い出を語るとき、とりわけ得意げに綴っていた逸話に、次のような一幕があります。

あるとき、澁澤龍彦邸に詩人の高橋陸朗と金子國義が集っていたところへ三島由紀夫もあらわれ、最後の長編小説となった「豊穣の海」四部作を貫くテーマである輪廻転生の話題となり、仏教〜インド哲学の「唯識学」の「阿頼耶識」なるものについての解説をはじめました。

熱してきた三島はふたつの皿を手にとり、一枚の皿を平行に置き、もう一枚の皿を垂直に置いて、これが時間軸で、これが空間軸とすると、この接点のところに成立するのが「阿頼耶識」、と説明。

そこですかさず澁澤龍彦が「それは阿頼耶識ではなくて、皿屋敷ですよ」と茶化してしまったので一同大笑いとなり、さすがの三島由紀夫もすっかり参ってしまった、というおはなし。

その三島由紀夫が死んだ日に生まれたぼくにとってはまるで神代の神話のようなエピソードなのですが、このシーンに若き日の天才画家・金子國義も澁澤龍彦の諧謔に笑い興じていた姿のあったことが書きとめられていたのです。





現実に目の前で闊達自在にふるまう金子先生は、天衣無縫という言葉がぴったりで、少年のような大人という表現は陳腐にすぎますが、世の中にはほんとうにこんなひとがいるんだ、と驚かされたのを憶えています。

そしてその人物が、かの澁澤龍彦のエッセイの登場人物であったことを思うと、お会いするたびとても不思議な気持ちになってしまったものです。


上に引いたエピソードは1967年、銀座の青木画廊での個展「花咲く乙女たち」で金子國義が画壇にデビューした年の正月のこと。

わが家には当時金子先生にぼくの名前も入れていただいたサイン本が2冊あって、そのうちの一冊は澁澤龍彦が訳したポーリーヌ・レアージュの小説「O嬢の物語」。刊行年は1966年で、金子國義と澁澤龍彦がコラボレーションした最初期の作品でした。


ポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」 澁澤龍彦・訳 金子國義・挿画



あらためて金子國義描く「アリス」を見てみると、ジョン・テニエルのオーソドックスなアリスのイラストのイメージをいい感じに踏襲しつつ、金子先生の個性もしっかり定着していて、日本人が描いたアリスのイラストレーションとしては最高級のものだと思います。

そしてこの瀟洒な文庫本が数百円で手に入るのは、ちょっとすばらしいことじゃないかと思うのです。


矢川澄子訳 「鏡の国のアリス」 (新潮文庫) 挿絵:金子國義
矢川澄子訳 「鏡の国のアリス」 (新潮文庫) 挿絵:金子國義



2月には、渋谷Bunkamura Galleryで「金子國義展 −悪徳の栄え−」が開かれ、サイン会も予定しているとのことです。

http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100203kaneko/index.html


もしぼくがまた金子國義先生のサインをいただける機会があったら、今度は2冊の「アリス」の文庫本にいただきたいな、などと思ってしまいました。







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坂本龍馬と昭憲皇太后の夢

2010/01/04 03:55



【坂本龍馬についてのノート その1】


坂本龍馬という人物はかねてより国民的な人気がある幕末の英傑ですが、近頃はまたNHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートしたこともあって、あちこちでその名を耳にするようになりました。

けれど、坂本龍馬の成し遂げたこと・成し遂げようとしたことの歴史的評価をめぐっては、ぼくの意見は世間のそれとはちょっと趣を異にするのではないかと思っていたので、そのことを書き記しておきます。


すでに多くの方が指摘しているように、現代の坂本龍馬のイメージの基調になっているのは明らかに司馬遼太郎が1960年代に著した小説「竜馬がゆく」に描かれた人物像でした。



司馬遼太郎があえてその主人公の名を「龍馬」ではなく「竜馬」の表記としたのは、史実ではなくフィクションの世界のキャラクターであることを明確にしたかったため、というのも有名なおはなしです。

あえて歴史小説の主人公の人名表記にそうした配慮をするという異例の処置も、あらかじめ作者自身が後日その影響力の絶大なることを期してのことだったと思われ、近頃では代表作「坂の上の雲」のドラマ化でも話題になっている司馬遼太郎という文筆家の恐るべき筆力を思い知らされます。

けれどぼくは、いわゆる司馬史観の信奉者ではありません。そのわけは後述します。

もとより、大政奉還の一月後という絶妙のタイミングで志なかばに暗殺されてしまったため、生前より死後にその名が知られるようになった彼の場合、後世に描かれた虚像を振り払い坂本龍馬の人物像を読み解く、といった試みにもそれほど意味があるとは思えません。

歴史的評価を問うならば、生前の些事などよりもむしろ後の時代にどのような意義をもって受け止められたか、ということの方が重要になってくると思うからです。

それならば、司馬遼太郎以前の日本人にとって坂本龍馬のイメージとはどんなものだったのでしょうか?





明治の御代に皇后の位にあり今は天皇とともに明治神宮のご祭神としてお祀りされている昭憲皇太后というお方は、その御真影を拝見してみても、モダン・ガールなどという言葉もなかった時代にはるかにモダンな、むしろ現代的とさえ感じられる洋装・断髪のお姿で、また生涯に3万首以上の歌を詠まれ、「金剛石」「水は器」などの唱歌の作詞者としても記憶される詩人であられた、非常に興味深い女性です。

その昭憲皇太后が明治37年、日露戦争開戦直前のある夜、葉山の御用邸にて夢をご覧になりました。

夢の中には30代の武士が白装束で現れ、「微臣はこの魂魄を皇国海軍の上に宿し必ず勝利へと導き奉る」と奏上。

皇后陛下はその夢の人物が誰かを知らず侍臣にご下問され、献上された坂本龍馬の写真をご覧になり、間違いなくこの人物だと断定された、ということが大きく報道されました。

そのことををきっかけに、坂本龍馬の墓の在る京都霊山護国神社には忠魂碑が建立されています。



この夢の逸話の真偽のほどは定かではありませんが、大切なのはこのエピソードがそれまで無名に近かった幕末の志士・坂本龍馬の名を広く知らしめるとともに、尊王攘夷思想の再認識の気運を高めつつ日本国民の士気を鼓舞し「皇国の興廃この一戦にあり」の檄が象徴する激戦・日本海海戦に勝利、世界史的意味を持つ日露戦争の勝敗を決するに至ったということです。




司馬遼太郎は、「坂の上の雲」は、たしかに未曾有の国難である日露戦争に立ち向かった明治の日本の若き群像を輝かしく描いています。

けれど、その歴史は坂本龍馬とは結びつきません。

昭和の大東亜戦争を否定することで成立し、戦後民主主義の風潮の中でメインストリームとなって迎え入れられた司馬史観は、幕末から昭和にかけての東亜百年戦争という視点を持つ林房雄の「大東亜戦争肯定論」とは対極にあります。



それがぼくの司馬史観に与することのできない理由なのですが、そこでは日露戦争と坂本龍馬が結びつく接点が見失われてしまっているのです。

実際に司馬遼太郎は、もしも龍馬が生きながらえていたならば、明治政府の下で政治家や軍人としてではなく、むしろ実業家として活躍していたのではないか?などと語っているのを読んだことがあります。

時機を察するに長け自由に身を処する策士、現代の坂本龍馬像とはつまるところそんなものなのでしょう。

戦国武将に学ぶビジネス戦略、という類いの俗論と同様、そういう意味での坂本龍馬のイメージなどにはまったく興味を持てそうにありません。

ぼくが評価する坂本龍馬とは、あくまでも「尊王攘夷」の志士なのです。

その活動の軌跡は目先の外国人の殺傷といった「小攘夷」から、天皇陛下を戴く朝廷を中心に据えた国民国家の形成・富国強兵の実現・万国公法に依拠した新たな国際秩序の構築を前提とした「大攘夷」への転換であり、それはとりもなおさず日露戦争へと一直線に連なる憂国の志なのでした。

その歴史の連続性をふまえてみてはじめて、昭憲皇太后の夢に現れた海軍の守護神としての坂本龍馬のイメージこそが腑に落ちるものとなってきます。


それでは、その志は後の大東亜戦争とどのように結びつくのか?ひいてはぼくらが生きる現代の日本国とはどのように関わってくるのか?

それについては、また頁をあらためて綴ってみたいと思います。


>> 【坂本龍馬についてのノート その2】・「坂本龍馬と万国公法」












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オスカー・ワイルドの「幸福な王子」と法隆寺の捨身飼虎図

2009/12/30 20:24



葉子の万年少女人形館の新作陶土人形は「幸福な王子」をイメージして作ってみたので、そのお人形を入れる箱を製作してほしい、との依頼を受けました。


画幸福王子人形



童話「幸福な王子」をはじめて読んだ、というより耳にしたのはまだ幼稚園児のころ。

「東京こどもクラブ」の朗読レコードで聴きながら絵本を眺めたのが最初の出会いだったと記憶しています。

なんだかとても悲しくて、心に残るおはなしでした。





オスカー・ワイルドの文学作品に耽溺してしまったのは18歳くらいのころ。

自分がイラストレーションを描くということをはじめるにあたって絶大な影響を受けてしまったオーブリー・ビアズリーの挿絵が圧倒的な世界観を形作っている戯曲「サロメ」や、脆く危うげでナルシスティックな美学がたまらない「ドリアン・グレイの肖像」。英国世紀末のダンディズムにどっぷり嵌ってしまった日々。

オスカー・ワイルドの著作をむさぼるように読み進める中、幼いころに聴いた「しあわせのおうじ」がワイルドの名作童話だったことに思い当たって、文庫本で再読してみたものでした。







それから長い歳月が流れて、趣味的なワイルド愛好からはずいぶん距離を置いて年齢を重ねながらも、「幸福な王子」のことはまた別の機会に思い出すことがありました。


捨身飼虎図



「捨身飼虎図」。

大和国・法隆寺の国宝、推古天皇御厨子とも伝えられる飛鳥時代仏教美術の至宝「玉虫厨子」の須弥山部右側面に描かれたこの絵は、数ある日本美術の名品の中でも必ず五本の指に数え入れたい、ぼくにとってとりわけ思い入れの深いイメージです。


先日ご紹介したポーグスのクリスマス・ソング"fairytale of New York"は、1つの歌の中に3つの時間を歌い込めていることで立体的に織りなす深みのある情景の中に「人が生きる」ということの実存に迫る何かを感じさせてくれる、ということを書きました。

この「捨身飼虎図」もまた、1つの図像の中に3つの時間が描き込められた、描画図法「異時同図」の典型として知られています。

ART in BIOHISTORY 異時同図−動きをみる

ここに描かれているのは、ジャータカ(本生譚)と呼ばれる釈尊の前世の物語のひとつ。薩埵王子(さったおうじ)が飢えた虎とその7匹の子のためにみずからの身を投げて虎の命を救ったという「金光明経」の説話をモチーフとしたもの。

崖の上で衣服を脱ぎ樹木にかける王子。
崖から身を投げ落下していく王子。
そして無惨にも虎に喰われる王子の身体。

この時を異にする3つの場面を描いた図のなかに流れる悲しい時間の曲線が、とてつもなく美しい、と思います。

そして他者の幸福のために我が身を投げ捨てるこの自己犠牲のおはなしは、そのままオスカー・ワイルドの「幸福の王子」に重なり合ってくるのです。

実際にワイルドは、「幸福の王子」の眼球が一千年前にインドから運ばれてきた珍しいサファイヤでできている、という設定で、この物語の出典が仏教説話であることを暗示していました。





仏教東漸の果てに日本国にもたらされたこの自己犠牲の説話を、法隆寺を建てわが国の仏教興隆を計った上宮聖徳太子の嫡子・山背大兄王は、蘇我入鹿の襲撃を迎え「われ、兵を起して入鹿を伐たば、その勝たんこと定し。しかあれど一つの身のゆえによりて、百姓を傷りそこなわんことを欲りせじ。このゆえにわが一つの身をば入鹿に賜わん」との言葉を遺して一族もろとも滅亡してしまったことで、身をもって体現しました。

そしてその精神は一千年の後までも民族に脈々と受け継がれ、先の大戦にあたっても特別攻撃隊のようなかたちで再現されました。つまり、靖国神社にお祀りされている英霊たちもまた、西欧列強という餓えた虎の前に身を捨てた「幸福な王子」たちだったのではないでしょうか?

一方、西欧文明の頽廃の果ての19世紀末イギリスで、オスカー・ワイルドがこの物語にたどりつき、後世に残るかぎりなく美しい童話として結晶させたことの意味。


幸福王子の箱



そんなすべてのことの億分の一でも、ぼくの描く「幸福王子」の箱の図案の中にも込めることができたなら、と願いながら、ささやかな小箱を作ってみました。


万年少女人形館 幸福王子



万年少女人形館 幸福王子



万年少女人形館 幸福王子








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Hanakoの神社特集と文学指向症

2009/12/18 03:53



ぼくは昔から神社が好きだったけれど、ひどく出不精なためにあまりお参りにも行くこともできずにいましたが、2009年は念願だった伊勢神宮への参拝をきっかけに、御朱印帳を持ってお出かけする楽しみに目覚めてしまいました。

そうしてあちらこちらのお社を訪れて強く感じたのは、若い女性にも神社巡りが人気と言われていることが決して空事ではなく、ほんとうに静かなブームとして確実に盛り上がっているという実感だったのです。

そんな折、電車の社内吊りの広告になつかしい伊勢皇大神宮の写真を見つけて、マガジンハウスの雑誌「Hanako」で聖地案内、神社巡りが特集されていることを知りました。





一生に一度は訪れたい聖地、伊勢・出雲・奈良・熊野。

気軽に立ち寄ることのできそうな「東京聖地案内」。

「日本の神社50&周辺エリア完全ガイド」というふれこみの記事は他のガイドブックの類いよりもコンパクトにまとまっていて、結構役に立つかもしれない、と思ってさっそく購入してみました。

各地の神社の概要とあわせて掲載されているグルメやカフェ情報も、保存しておけばこの先も重宝しそうです。


意外にいいことが書いてあるじゃないか、と感心してしまったのは「江原啓之先生が特別指南・今、行くべき聖地」と題された記事。

もとより、ぼくは神社のことを「スピリチュアル・サンクチュアリ」とか「パワースポット」というくくりで語る語り口には違和感を感じて、辟易してしまっていました。

まるで神社のことを得体の知れない電波や磁力でも放出している場所と誤解しているのではないかと思われるような、いまどきの似非科学至上主義が鼻について、むしろそれは古来の日本人の信仰心とは正反対のものとさえ思えてしまうのです。

江原啓之というひとは、なんとなくそんな「スピリチュアル」の仕掛人という先入観があったので、はじめはその文章を読むのにも構えてしまっていましたが、この記事はそんな昨今の風潮を内省的にかえりみた上で、あらためていくつかの神社の歴史的意義を問い直した、良い内容でした。



「江原啓之の『スピリチュアル・サンクチュアリの旅』は、単なるパワースポットの紹介でもなければ、ご利益を得るための攻略記事でもありません。それぞれの聖地について、価値と魅力をお知らせするとともに、そこから何を感じ、何を学び取っていくべきなのかを、私なりの視点でナビゲートしているのです。」



Hanakoの神社特集 大宮氷川神社の記事ページとお守り



江原啓之「今、いくべき聖地」



2009年のふたご座流星群」の頁で書いたように、天体観測が大好きだった中学生のころ、ぼくは本気で天文学者になりたいと思ったこともありました。

けれど今にして思えば、それはまったくの勘違いでした。

ぼくの天体嗜好症は、理系自然科学の一分野である現代天文学とはまったく別の、完全に文学的興味によるものだったことが、野尻抱影翁のエッセイ集などを読み返しているとよくわかってきます。


そして、この機会に振り返ってみました。ぼくにとっての「神社」とは何か?

歴史・神話・民族の伝統と民俗の伝承・・・。

それもまた、突き詰めて言ってしまえば「文学」なのだと思うのです。


ついでにもう一つ付け加えておくならば、ぼくが描く絵なども、美術であるよりも何よりもまず、やはり「文学」を志向しているような気がします。








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2009年のふたご座流星群

2009/12/15 03:06



ふたご座流星群がピークをむかえる夜更け、今年は月もなく条件がいいというので、ちょっとだけ寒さをこらえて外に出て、いくつかの流れ星を見ました。

いまから4半世紀も前になってしまいますが、中学生の頃はわざわざ日本流星協会から取り寄せた星図や観測用紙などを携えて、この流星群を観測してみたものです。

厳寒の中で何時間も夜空にむかっていたそのころでも見たことがなかったような、くっきりとした流星痕を残す鮮やかな火球も、今夜はほんのひとときの間に見ることができました。


ふたご座



まるでギリシャ神話の双子の兄弟が、小さな弓できまぐれに放った矢のように、ぽろりと星空から抜け落ちる。そんな情緒のあるこの流星群の流れ星を、とてもなつかしく眺めました。





最近は、野尻抱影翁の星の本などを読み返したりしています。







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扉の冬 - 吉田美奈子のソウルフルな叙景詩

2009/11/26 03:06




ねこが耳をなでると 雨が降ると言いますので
私は今日は家に居ることにしました

吉田美奈子「ねこ」




先日「富士と筑波と新嘗祭の物忌み」の頁を書きながら、なんとなく吉田美奈子の古い歌を思い浮かべていて、「ぼくはじっと家に引き蘢ってみたいと思います」といってしめくくったあと、久しぶりにレコード棚から彼女のファースト・アルバム「扉の冬」のLPを取り出してみました。





柔らかな質感の紙の上に物憂い表情の顔が浮かび上がったジャケットがいい雰囲気のこのレコードが大好きで、むかしフリーペーパー文化誌「献血劇場」vol.22に連載していたエッセイ「雨の日の女」番外編でこのアルバムをアナログLPで再発してほしい、ということを書いたら、ほんとうに1996年VIVIDから復刻盤が発売されておどろいたことがありました。

まさかレコード会社の関係者がぼくの綴った文に応えてくれたわけでもあるまい、とは思うものの、このレコードに込められた濃密で気怠くて繊細でソウルフルな世界を宝物のように思っているのはぼくだけではなかったんだという気がして、なんだかうれしかったのを憶えています。



外はみんな季節色 内では私 絵空事
そむけた首をしりめに すべては先へ・・・
めくら葡萄の言うことにゃ うしろ向くは死ぬことばかり

吉田美奈子「外はみんな・・・・・・」





マッスル・ショールズあたりをモデルに音楽職人集団を組織したというキャラメル・ママのバックがものすごくいい仕事をしていて、とても気の利いたサウンドとアレンジにのせてこんな奇妙な歌詞がファンキーに歌われる1曲目の「外はみんな・・・・・・」から、ぼくはちょっと「イーライと13番目の懺悔」にも似た雰囲気を感じてしました。

当時20歳の吉田美奈子をプロデュースして和製ローラ・ニーロを作り上げよう、と目論んだ細野晴臣の思惑が大当たりだった、というわけです。


究極のベスト! 吉田美奈子



その頃は松任谷由実などと比べられることが多かったという彼女が、ありふれたシンガー・ソングライターにとどまらず、その後の活動でもソウルからゴスペルまで、ブラック・ミュージックへのアプローチで群を抜いていることは聴いてみてのとおりですが、その不思議な詩的世界もまた、ちょっと説明のしようのないような独特のもの。



一人の心のさわぎに 一つの心のむなしさ
扉の冬 私の心の
窓の外は風 扉に近づく何かに
開けたらだめ 見ないふりをして

吉田美奈子「扉の冬」





この歌を聴いていて、前にも引いた万葉集の新嘗祭の物忌みの歌が重なり合うような気がしてしまったのです。




誰そこの屋の戸押そぶる新嘗に我が夫を遣りて斎(いは)ふこの戸を

万葉集 巻十四 3460






小さい頃、銀杏の木に登って遠くを見ていたことが原体験だという彼女の、繊細でソウルフルな叙景詩を透かして伝わってくる上質の抒情性。

11月、新嘗祭の季節にはこのレコードを聴いて冬の扉を開ける。そんな心情にぴったりの音と詩がここにありました。

そして12月には、長らく幻の作品だったすばらしいクリスマス・ゴスペル「Bells」を聴いてみたいと思います。


BELLS-Special Edition (CCCD)








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市ヶ谷の街と昭和45年11月25日の三島由紀夫

2009/11/25 02:49



もうずいぶん前のことですが、雑誌の版下作りのアルバイトをしていて、数ヶ月のあいだ市ヶ谷の自衛隊駐屯地の坂を上ったところにある東洋最大の印刷会社に通っていたことがあります。

当時はたまたま持ち歩いていた文庫本、海野弘「モダン都市東京―日本の1920年代」にちょうど出てくる吉行あぐり美容室の跡などを偲んだりしていたくらいで、特別にその街の歴史を気にかけることもありませんでした。

けれど、どことなく暗い影のある街だなあ、という印象を持ったことを憶えています。

もとよりぼくはオカルトめいた霊感などを感じることが皆無のひとですが、もしも地霊のようなものに取り憑かれた街があるとしたら、こんなところかもしれない、とさえ思えてしまったのです。


市ヶ谷牛込絵図 (12) (江戸切絵図)



調べてみるとその昔、市ヶ谷監獄の刑場は明治の毒婦・高橋お伝や大逆事件の幸徳秋水をはじめ、多くの罪人たちが処刑された曰く付きの地であったということで、ちょっと納得。

けれどこの街に感じてしまう拭いきれない不吉なイメージの理由は、どうもそれだけではないようです。

そういえば学生のころ、法政大学にライブを見に行ったときなども何か陰惨な気配を感じたような記憶がありますが、それはもしかすると 学園闘争はなやかなりし頃の内ゲバ殺人事件にからむ怨念だったのかもしれません。

また、先の大戦のあとの極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の法廷が設けられ、ぼくがトリビュート・Tシャツ「日本無罪」のイラストを手がけたラダビノード・パール判事による被告人全員無罪の主張も握りつぶされ、7人のいわゆるA級戦犯に対して絞首刑が宣告されたのもこの地でした。

そして何よりも、昭和45年11月25日にこの地で腹を切った三島由紀夫のことに思い当たったとき、その同じ日にこの世に生を受けてしまったぼくは、市ヶ谷の街に感じた何ものかの正体と因縁に出会った気がして、慄然とするような思いがしてしまいまったのです。





ぼくは三島由紀夫の生まれ変わり。などと言ってみたこともありましたが、もちろんはじめは最後の長編小説「豊饒の海」が輪廻転生の物語だったことに絡めての無邪気な洒落のつもりでした。

それなのに年を追う毎に、ぼくの思想のおもむくところを三島由紀夫の言葉に照らし合わせてみると、それは冗談ではなくひとつの呪いのようなものかもしれない、という気がしてきました。


今日は39回目の憂国忌。ぼくはまたひとつ彼が自決した年齢に近づきます。







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