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みんなの「アリス」ブログ


「小品展」 国立 ART IMAGINE 出品のおしらせ

2010/07/01 07:34



2010年7月1日〜7月6日、国立のギャラリーART IMAGINEで催される「小品展」という企画にお誘いをいただいて、出品することになりました。





アートイマジンギャラリー 小品展DM



【小品展 〜生活の中にアートを〜】

■会期/2010年7月1日〜7月6日 
    12:00〜19:00(最終日は16:00まで)

■会場/アートイマジンギャラリー(国立市東1-15-33 ヒロセビル 502)
    ※中央線国立駅 南口より 徒歩3分
    http://www.art-imagine.com/

■ 出品作家(敬称略)
いとう良一
稲村光男抒情画工房
岩佐英明(achi)
大江克尚
神本和思
gondolina
佐藤創一
塩浦信太郎
杉子
芹野健太
高橋沙也
竹村友里
田尻恵理菜
棚橋航
Masachiko
丸山薫
村田繭衣
山田久美子
山村絵美
横山ひろあき
若林やすと



ぼくは、ルイス・キャロルの「アリス」を描いた画を、いくつか展示します。


画像



画像



機会がありましたら、のぞいてみて下さい。







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アリス チェスタートン 柳田國男

2010/06/15 02:15




また「アリス」の絵を描いてみよう。

そう思って、参考にと昔の「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号を書棚から出してきたら、ギルバート・キース・チェスタートンの評論「ノンセンスの擁護」に読み耽ってしまい、絵はちっとも進まなくなってしまいました。


「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号



「別冊 現代詩手帖」ルイス・キャロル特集号は、1970年代の「不思議の国のアリス」再評価のムーブメントの中心となった1冊。

むかし読んだときはよくわからなかったけれど、そこに収められた「ノンセンスの擁護」のチェスタートンの文章力があまりにもすごすぎて、すっかり幻惑されてしまったのです。


われらの住まうこの薄明の世界をいかに受けとるべきか。これには永遠に拮抗する二つの見方があろう。
つまり、夕暮の薄明と見るか、朝まだきの薄明と見るかだ。
…(中略)…
「人間とは、あらゆる時代の末端の相続人」なり、と思い知るのが人間のためになることは、大方の認めるところだ。
それほど一般受けはしないけれど、劣らず重要なのは、こう思い知ることだ。
---人間とは先祖、それもあらゆる時代を遡った始源の昔に位置する先祖なり、と。
これまた人間にとって良い薬である。
もしかしたら自分は英雄ではないのかと思いを馳せ、ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのかといぶかって心高まる思いを味わう、人間たるものそうあってしかるべきであろう。


このおそるべき文体によく似た何かを、他にもどこかで読んだことがあるような気がする。

そう思って記憶をたどってみて、初期の柳田國男のつぎのような文章に思い当たりました。


小生は以前苅田嶽に登りて天道の威力に戦慄し、鵜戸の神窟に詣でて海童の宮近しと感じ、木曾の檜原の風の音を聞きて、昔岩角に馬蹄を轟かせて狩をせしは自分なりしように思い候ひし、あの折の心持ちを成るべく甦らせて昔のことを攻究致し候ひしかば、…(中略)…猶不可測に対する畏怖と悃情とを抱くことを得候ひき。


名著「遠野物語」と同じ明治43年に上梓された、黎明期の日本民俗学の重要な文献「石神問答」の中の一節です。

たしかに、ここには「ひょっとしたら自分は太陽神話ではないのか」という思いにとらわれた一人の詩人の昂揚するたましいがありました。


現在も読み継がれる推理小説「ブラウン神父」シリーズの作者でもあり、英国保守思想のイデオローグとしても知られるG.K.チェスタートンと、わが柳田國男とは1歳違いの同時代人。

その影響関係のことについて誰かが言及していたはず、と思って検索してみたのですがすぐにはそれらしいコンテンツが見つからず、そのかわり自分が昔綴った文章が出てきてしまいました。


【薬箱手帖】 クマグスとキンクス
http://timeandlove.at.webry.info/200904/article_1.html


この中で、ぼくは次のようなチェスタートンの一節を引用しています。


民主主義、民主主義と言うが、生きている人だけが票で決めるのである。 これは仕方ないかもしれないが、我々は、我々の先祖という死者を抱えている。 死者の意見もやはり聞かなくてはならない






チェスタートンの名著「正統とは何か」の核心となる、「死者の民主主義」の思想。


伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。
死者の民主主義なのだ。
単にたまたま今生きて動いてるというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。
伝統はこれに屈服することを許さない。


これとぴったり重なり合う提言が、やはり若き日の柳田國男が農商務省のエリート官僚として記述した「時代ト農政」という著作に見られることにひどく興味をおぼえて、ずっと前にもこの二人のつながりについて考えてみたことがあったのを思い出しました。


国家ハ現在生活スル国民ノミヲ以テ構成ストハ云ヒ難シ、死シ去リタル我々ノ祖先モ国民ナリ、其希望モ容レサルヘカラス、国家ハ永遠ノモノナレハ、将来生レ出ツヘキ我々ノ子孫モ国民ナリ、其利益モ保護セサルヘカラス。



陳腐で凡庸で過酷で抑圧的な民主主義が支配するこの世界において、祖先を国家共同体の構成員としてカウントしてみせるという反近代的考察。

まるで華麗な反則技のようにすばらしいこのアイディアが二人に共通して見られるのは、影響関係というよりはむしろシンクロニシティではないかと思われます。

それは保守主義というカテゴライズでとらえるよりもむしろ、気が遠くなりそうなくらい壮大なロマンティシズムと受けとめるべき心性なのかもしれません。


ギルバート・キース・チェスタートン 正気と狂気の間―社会・政治論


バーナード・ショーやH・G・ウェルズらの進歩主義と敵対したチェスタートン。

田山花袋や島崎藤村の自然主義と袂を袂を分かった柳田國男。

そしてそれよりもさらに興味深いのは、この思想の上に立つチェスタートンがその価値を見いだして擁護を宣言してみせたのがエドワード・リアの詩やルイス・キャロルの童話といったノンセンス文学であり、柳田國男が「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と宣言して格調高く書き綴ったのが顧みられることなく忘れ去られようとしていた民間伝承の世界の叙述であったということ。


「遠野物語」とは、明治末年の日本で、類いまれな知性と感性を抱えて歌に別れを告げたばかりの抒情詩人が出会ったアリスの不思議の国の物語だったのかもしれない。

もしくは、アリスという少女は英国ヴィクトリア朝の論理学者の目の前にあらわれた一人の座敷童子であったのかもしれません。



悪気はないのだが、ものごとの論理的側面を研究しただけで「信仰なんてノンセンスだ」と断言した人がいる。
自分がどんなに深い真実を語ったか、御本人は御存知ないのだ。
まあ、時いたれば、同じ言葉がひとひねりされて、彼の脳裏に甦るかもしれぬ
---ノンセンスとは、信仰だ、と。



2010年6月14日は、「遠野物語」はわずか350部の自費出版で刊行されてからちょうど100年の日。

偶然ですが、この日はギルバート・キース・チェスタートンの祥月命日でもありました。








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不思議の国の甲賀三郎と春日姫 - 諏訪大社の御柱祭によせて

2010/05/08 17:58



2010年、平成22年は数えで7年目ごとに行われるという諏訪大社の式年造営御柱大祭の年。


諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町
諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町



日本三大奇祭の筆頭に上げられるこの勇壮なお祭りは、4月には上社山出し〜下社山出し、5月のはじめに上社里曳き、5月7日には下社宝殿遷座祭が営まれ、今日5月8日からは下社里曳きがはじまり、今回も痛ましい事故で幾人かの死傷者を出しながらも、大きな盛り上がりを見せているとのこと。

ぼくは残念ながらそのお祭りに参加することもできず、ただニュース映像やライブ動画配信などでそのもようを観ながら、諏訪明神の信仰について思いをめぐらせてみました。




全国に五千以上の分社となる諏訪神社の総本社であり、日本国土の中心に位置するとも言われる信州・諏訪湖の北に下社の春宮・秋宮、南に上社の本宮・前宮の二社四宮を配する諏訪大社。

御柱祭りを筆頭に、諏訪湖の御神渡、耳裂鹿の生贄、あるいは人身御供としての一年神主の伝承などなど。

いくつかの特殊神事できわだった特色が見られるその「お諏訪さま」の信仰は、有史以前に起源を持ち、正確には探るすべもなく、様々な謎に包まれた複雑怪奇なもの。

古事記の記述により、御祭神は国譲りの際にこの地まで追いつめられて服従した建御名方命(たけみなかたのみこと)とされてはいますが、現実の地元諏訪地方の信仰にも神事の内容を記した古文書にも、どうもこの出雲神話の神が重視されているようすは見られず、むしろ縄文時代以来のミシャグジ信仰に由来するものとの解釈が有力なようです。

けれど、ぼくが諏訪明神と聞いてまず思い浮かべるのは、中世に安居院の神道集として編纂された本地垂迹説話集に書きとめられた「諏訪縁起事」に登場する、甲賀三郎と春日姫の伝説なのでした。




安寧天皇より5代の子孫、近江国甲賀権守の三人の子の末子である甲賀三郎諏訪(よりかた)が、大和国を賜り春日姫なる美姫を娶るも、伊吹山の天狗にさらわれて行方を失った春日姫を求めて分け入った蓼科山の人穴から、維縵国へ至る七十余国の地下世界を経巡り、再び地上に現れたときには長い年月の過ぎ去ったあと。身は蛇体となってたものの仏僧の語る話のおかげで人の姿に戻り、三郎の兄・次郎諏任に奪われようとしていた春日姫とも大和の三笠山で再会。その後、支那の平城国に赴いた後に日本に帰り、三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮として顕れ、春日姫は下社の神として顕れた、というあらすじ。


このおはなしは室町時代の「神道集」に記されたばかりではなく、各地の民譚や浄瑠璃など、文献を離れたところでもさまざまなバリエーションとなって口承文芸の世界で生き続け、多くのひとびとに諏訪明神のファンタジーとして愛されてきた形跡が明確に認められます。

迷い込んだ地下の不条理な世界での、シュールレアリスティックな冒険物語。

突飛な空想かもしれませんが、この物語が、ぼくには「2010 年のアリス・イン・ワンダーランド」の頁を書いて以来何度も読み返しているルイス・キャロルの童話「不思議の国のアリス」に描かれた、うさぎ穴に落ち込んだアリスの不思議の国に通じるような気がしてしまうのです。





古代の信仰の遺跡としてばかりではなく、中世から近世へそして現在へと、信濃の諏訪地方はもとより、各地で甲賀三郎の冒険譚をよすがに諏訪明神信仰を伝えてきた人々の心の中も、まるで「アリス」の物語に夢中になってしまう子供のような好奇心でいっぱいだったのではないでしょうか?


そしてもうひとつ、「不思議の国のアリス」を読んで、うさぎを追って穴に落ちて行く少女の物語を読んで連想させられるのは、出雲神話の大国主命のおはなし。

因幡の白うさぎを助けた童話めいた神話で知られる大国主命は、その後兄神たちの虐めを逃れて須佐之男命(すさのをのみこと)の住む根の国へ赴き、そこで須佐之男命の策略に陥れられ、放たれた火に囲まれたとき、「内はほらほら、外はすぶすぶ」というネズミの声にしたがって地面の下の穴に入り込み隠れることができた、という地下の国をモチーフにした冒険譚です。

諏訪大社の御祭神・建御名方命は大国主命の子、などという系譜の上の図式ばかりではなく、この上代の出雲系の神話は、根の国・地下世界の遍歴と通過儀礼としての幾多の試練という構造と、兄たちによる末子の虐待、妻問いなどの諸々の要素で、遠く中世の甲賀三郎の諏訪本地とどこかでつながっているのかもしれません。

ぼくはそのことが、その二つの物語の間に「不思議の国のアリス」のイメージを介在することによって見えてきたような気がするのです。


諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町
諏訪大社下社 春宮, 長野県下諏訪町



須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりひめのみこと)を連れて根の国から去って行く大国主命に、須佐之男命は「底津磐根に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽たかしりて居れ」という言葉をかけました。

大祓詞など多くの古典にも登場するこの成句を思うと、「柱」という日本神道の重要な呪物は、天にそびえる神さまの依り代でもありますが、むしろ底津磐根、すなわち地下世界との関わりこそが注目されてきます。


諏訪大社の御柱と、伊勢神宮の神秘の核心のひとつでもある心の御柱。

あるいは高天原の神話と出雲神話、ミシャグジ信仰と中世の説話の蛇体の神。

そのほんとうの姿を見定めるには、ぼくらの持つ好奇心を全開にして、深くリゾーム状に入り組んだ地下水脈をたどるように民俗の伝承と民族の潜在意識に分け入って行かなければならないのかもしれません。








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ALICE DROPS の アリス玉子

2010/04/09 02:07



2010年4月7日から19日まで、大阪市北区中崎町にある三つのお店「jam pod」「one plus 1 gallery」「乙女屋」による雑貨とイラストの合同イベント「ALICE DROPS」が開催されています。

以前から乙女屋さんに人形や小物をお取り扱いいただいてお世話になっている葉子の万年少女人形館も、写真の「アリス玉子」を出品。


アリス玉子



おどろいたことにこの「アリス玉子」、初日にはもう売約済みとなってしまったそうですが、展示期間中は乙女屋さんでご覧いただくことができると思います。

正直言って、わが家から旅立たせるのが惜しいくらい、かわいらしい出来映えでした。

2月に「アリス・マトリョーシカ」を作って一段落したつもりでいたぼくも、また負けないように励まなければなりません。


アリス・ドロップス



「ALICE DROPS」は、3店舗をめぐってお買い物をするとステキなオリジナル・ボックスがもらえるスタンプ・ラリーなども催されているそうで、とても楽しそうなイベントのようです。

関西方面の方はぜひお見のがしなく。









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アリスの時間 - トレヴァー・ブラウン&山吉由利子展に寄せて

2010/04/07 00:59



人形作家の山吉由利子先生とイラストレーターのトレヴァー・ブラウン氏とコラボレーション展示が企画されているということはだいぶ前から耳にして、ずっと楽しみにしていたのですが、その二人展のテーマが「アリスの時間」であるということを知ったのは、わりと最近のことでした。

2010年のアリス・イン・ワンダーランド」で書いたように、今年は「アリスの年」になるだろうと予想はしていましたが、尊敬するアーティストである山吉由利子先生もアリスを手がけられると知って萎縮してしまうその前に、ぼく自身の「アリス・マトリョーシカ」をひとまず作り上げることができてよかった、と思ったのです。





新作のアリス画集をエディシオントレヴィルから上梓されたばかりのトレヴァー・ブラウン氏の絵を、久しぶりに訪れた渋谷Bunkamura Galleryで鑑賞していると、古い言葉ですが、なんだか「ポスト・モダン」な気分でいっぱい。

一方の山吉由利子先生の作品は、クラシカルな気品とシュールレアリスティックな香りが漂いながらも、その下地となる素養はむしろモダニズムの世界にあるのかもしれません。

ヴィクトリア朝という「近代」の中心を時代背景として生まれたアリスの世界やルイス・キャロル文学のノンセンスな感覚は、1970年代になって再評価され、それは今にして思えばその後のポスト・モダン・エイジにいたる伏線でもありました。

今回のトレヴァー・ブラウン&山吉由利子展には、お二人の個々の作品の求心力もさることながら、それぞれの個性のほどよい距離感の中に「アリス」の世界が浮かび上がるような仕掛けがあったように思われたのです。

「アリス」の魅力とは、そんなふうにさまざまな時間が交錯したような多義性に満ちたテクストであるところなのですから。


同時に、考えさせられたのは、児童文学の古典であり、神話的なイコンの数々に彩られた「アリス」の世界へのアプローチには、ほかにどんなやり方があるだろうか?ということ。

たとえば、徹底してプレ・モダンを志向することで、コンテンポラリーな魅力を、もしくはユニヴァーサルな価値を得ることはできないだろうか?などと思ってしまったのです。

そこでぼくは、この十年くらいのあいだいつもぼくの頭の片隅から去らない折口信夫博士の学問と文学のことなどを思い浮かべていました。

これはぼくの個人的な宿題として、もうすこし追求してみたいと思っています。


「アリスの時間 - トレヴァー・ブラウン&山吉由利子展」は、4月11日の日曜日まで開催中。

http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100331alice/


babyart - Trevor Brown
http://www.pileup.com/babyart/

山吉由利子 Yuriko Yamayoshi Dolls
http://www.yamayoshi-doll.com/








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Complete Alice - 「少女アリス」の最終復刻に寄せて

2010/02/28 00:45



「復刊ドットコム」でリクエストに一票を投じていた写真集、沢渡朔の「少女アリス」は、続編の「海から来た少女」とあわせて「完全版アリス」として数年前に限定復刻されていましたが間もなくまた完売となってしまい、このたび「最終復刊」との触れ込みで部数限定重版のおしらせが届き、河出書房新社より発売されました。





沢渡朔 少女アリス/海から来た少女 Complete Alice



1970年代の「アリス」再評価のムーブメントの流れから生まれたこの作品は、ルイス・キャロルが追い求めていた「少女」のイメージの現代的な映像化を試みてかなりの成功を収めた傑作。

ぼくらがまだ学生だったころ、容易には手に入らなかったこの写真集の一部が掲載されていたペヨトル工房の雑誌「夜想」の少女特集のグラビア・ページや、ひところ青土社の「ユリイカ」の表紙を飾っていたのを飽かずに眺めて、そのイメージの鮮烈さに感嘆しきりだったものです。


ただし、少なくともぼくは、この写真集に収められた画像に性的な興奮をおぼえたことは一度もありません。

児童ポルノが法的に規制されている昨今ですが、芸術か猥褻かなどという議論をするのも文字通り不毛としか言いようがないと思います。


沢渡朔 少女アリス/海から来た少女 Complete Alice












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3つめのマトリョーシカ

2010/02/08 02:18



ほんの一部ですが、クローズアップした画像を掲載しておきます。


3つめのマトリョーシカ アリスの顔のアップ



お察しの良い方はお気づきかと思いますが、ぼくのこの3つめのマトリョーシカ、モチーフはルイス・キャロルの「不思議の國のアリス」「鏡の國のアリス」です。


3つめのマトリョーシカ 3月うさぎ



5個組のマトリョーシカの全体の写真はまた別の機会に。

2月17日から22日まで、吉祥寺の"gallery re:tail"で開かれる企画展「マトリョーシカの村」に出品予定ですので、ぜひ会場で実物をご覧になってみて下さい。










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新潮文庫のアリスと金子國義先生のこと

2010/01/28 04:06



いま全国の書店で容易に入手できる新潮文庫版の矢川澄子訳 「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の挿画は金子國義が手がけたもので、その装丁を眺めていて久しぶりに金子先生のことを思い出しました。





もう10年かそれ以上前のことで、おそらく先生ご本人のご記憶にも残ってはいないかもしれませんが、ご縁があって高名な画家である金子國義先生としばしばお会いしていた時期がありました。

それは絵のファンとしてではなく、偶然の機会でのめぐり会いだったのですが、もとからぼくはポール・デルヴォーのような画風や小村雪岱のデザイン・センスが大好きだったので、もちろん金子先生の作品が嫌いなわけはありません。

けれどそれ以上にいまでも印象深く記憶しているのは、金子國義という人物の不思議な存在感でした。


澁澤龍彦が三島由紀夫の思い出を語るとき、とりわけ得意げに綴っていた逸話に、次のような一幕があります。

あるとき、澁澤龍彦邸に詩人の高橋陸朗と金子國義が集っていたところへ三島由紀夫もあらわれ、最後の長編小説となった「豊穣の海」四部作を貫くテーマである輪廻転生の話題となり、仏教〜インド哲学の「唯識学」の「阿頼耶識」なるものについての解説をはじめました。

熱してきた三島はふたつの皿を手にとり、一枚の皿を平行に置き、もう一枚の皿を垂直に置いて、これが時間軸で、これが空間軸とすると、この接点のところに成立するのが「阿頼耶識」、と説明。

そこですかさず澁澤龍彦が「それは阿頼耶識ではなくて、皿屋敷ですよ」と茶化してしまったので一同大笑いとなり、さすがの三島由紀夫もすっかり参ってしまった、というおはなし。

その三島由紀夫が死んだ日に生まれたぼくにとってはまるで神代の神話のようなエピソードなのですが、このシーンに若き日の天才画家・金子國義も澁澤龍彦の諧謔に笑い興じていた姿のあったことが書きとめられていたのです。





現実に目の前で闊達自在にふるまう金子先生は、天衣無縫という言葉がぴったりで、少年のような大人という表現は陳腐にすぎますが、世の中にはほんとうにこんなひとがいるんだ、と驚かされたのを憶えています。

そしてその人物が、かの澁澤龍彦のエッセイの登場人物であったことを思うと、お会いするたびとても不思議な気持ちになってしまったものです。


上に引いたエピソードは1967年、銀座の青木画廊での個展「花咲く乙女たち」で金子國義が画壇にデビューした年の正月のこと。

わが家には当時金子先生にぼくの名前も入れていただいたサイン本が2冊あって、そのうちの一冊は澁澤龍彦が訳したポーリーヌ・レアージュの小説「O嬢の物語」。刊行年は1966年で、金子國義と澁澤龍彦がコラボレーションした最初期の作品でした。


ポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」 澁澤龍彦・訳 金子國義・挿画



あらためて金子國義描く「アリス」を見てみると、ジョン・テニエルのオーソドックスなアリスのイラストのイメージをいい感じに踏襲しつつ、金子先生の個性もしっかり定着していて、日本人が描いたアリスのイラストレーションとしては最高級のものだと思います。

そしてこの瀟洒な文庫本が数百円で手に入るのは、ちょっとすばらしいことじゃないかと思うのです。


矢川澄子訳 「鏡の国のアリス」 (新潮文庫) 挿絵:金子國義
矢川澄子訳 「鏡の国のアリス」 (新潮文庫) 挿絵:金子國義



2月には、渋谷Bunkamura Galleryで「金子國義展 −悪徳の栄え−」が開かれ、サイン会も予定しているとのことです。

http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100203kaneko/index.html


もしぼくがまた金子國義先生のサインをいただける機会があったら、今度は2冊の「アリス」の文庫本にいただきたいな、などと思ってしまいました。







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薩摩の国のアリスたち 〜ルイス・キャロルと島津斉彬の少女写真

2010/01/23 14:02



「不思議の国のアリス」の作者としておなじみのルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンといえば、その文学の仕事と並んで、黎明期の写真芸術史を彩る数々の作品を残していることで知られています。





なかでも、「アリス」の物語のモデルとなった実在のアリス・リデルとその姉妹たちを写した少女写真のイメージは、150年を経た今もなお、あまりにも印象的なものでした。





その写真集のページを繰っていてふと思いついたのは、彼がこの作品を残した大英帝国のビクトリア朝はちょうど本朝の幕末にあたり、実用化されて間もない写真技術が開国したばかりのわが国に伝来しはじめた頃だったのでは?ということでした。

そして、子どものころ、「日本にはじめて写真機を輸入したのは、鹿児島薩摩藩の島津斉彬(しまづなりあきら)という大名で、その肖像写真が日本初の写真でした」、ということを啓蒙的な科学技術の歴史の本で読んだことがあるのを思い出したのです。


島津斉彬
贈正一位 島津齋彬公 1809-1858



日本の武家の中でも屈指の名門で、「島津に暗君なし」と謳われた歴代の当主の中でもとりわけ名君として知られ、集成館事業を興し富国強兵をなしとげ、下級武士出身であった若き日の南洲翁・西郷隆盛吉之介らを登用し、明治維新と近代日本の礎を築いた島津斉彬という方は現在、照国大明神として鹿児島市に鎮座する照国神社にお祀りされています。

順当に行けば徳川の天下に取って代わり、ことによると「島津幕府」を開くこともできたかもしれない大人物であったと、いまは思います。

けれど、ぼくが最初に島津斉彬の名を知ったのは、当時ヨーロッパでも最先端機器であったカメラを輸入し、写真撮影に凝ったハイカラ好きなお殿様としてであって、いまだにちょっとそのイメージが残っているのです。

厳密には、尚古集成館所蔵の1857年の島津斉彬肖像写真より少し前、二度目のペリー来航時1854年に撮影されたという浦賀奉行与力・田中光儀像が日本最古の写真として平成18年に重要文化財の指定を受けていますが、日本人としてはじめてカメラを手にしたばかりの島津斉彬公は、他にいったいどんな写真を残しているのでしょう?

好奇心がわきおこって調べてみると、こんな画像を見つけました。




島津斉彬みずから撮影したものと伝えられるこの3人の少女の写真は、斉彬公の娘たちの肖像で、左より典姫(のりひめ)、暐姫(てるひめ)、寧姫(やすひめ)。

一昨年、宮アあおい主演の大河ドラマでその名が知られた天璋院篤姫は島津斉彬公の養女となった方なので、写真の少女たちは篤君の妹たちということになります。

さらには、今上天皇陛下の母方の祖母にあたられるお方が斉彬公の養子となった薩摩藩最後の藩主・島津忠義公爵の令嬢であったというご縁故からも、彼女たちが日本でもとびきり高貴なお姫様であったことがうかがえます。

撮影されたのは1858年頃、つまり海の向こうのイングランドでルイス・キャロルがリデル家の姉妹たちを写真に収めていたのとちょうど同じころです。

アリスとまさに同時代の、同じくらいの年頃の少女たちのあどけない表情が、薩摩の国で写真に写されていたこと。

そしてそれが日本写真史の最初のページに残されていたことに、なんだかちょっと不思議な気持ちになってしまいました。








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2010年のアリス・イン・ワンダーランド

2010/01/16 11:42



むかし、「不思議の国のアリス」の画を、好んで描いていたことがあります。


不思議の国のアリス ホワイト・ラビット



1997年、小説家の速瀬れいさんが主宰していた文芸誌「Ripple」に掲載した上のイラストは、ジェファーソン・エアプレイン1967年のアルバム「シュールレアリスティック・ピロー」に収められたサイケデリック・チューン「ホワイト・ラビット」の挿絵として描いた中の1枚。





昨年くらいから、またひさしぶりに「アリス」を画題にした何かを描いてみたいと思いはじめていました。

すると時を同じくして、街で「アリス・イン・ワンダーランド」と大きなロゴが書かれたポスターや広告の看板を見かけるようになりました。







それで、ディスニーの映画『ふしぎの国のアリス』の物語の続編をティム・バートン監督が手がけ、ジョニー・デップが帽子屋に扮する「アリス・イン・ワンダーランド」が3月に公開されるということを知ったのです。



ふしぎの国のアリス(2010)映画予告編
[Alice In Wonderland (2010) Trailer]



2010年は、「アリス」の年になるかもしれません。

ルイス・キャロルの作品〜文学や写真はもとより、そこから派生するさまざまな「アリス」のイメージについては、思いつくままにこのブログでも綴ってみたいと思います。





そして、ぼくが描く2010年の「アリス・イン・ワンダーランド」も近いうちにお目にかけたいと思っていますので、もうすこしお待ち下さい。







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