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みんなの「散歩」ブログ


下北沢のマリア 世田谷区の「ツリー」と「リゾーム」

2009/10/03 16:32



9月の後半は、アンティーク雑貨屋さん「木曜館」クロネコボックスでの葉子の万年少女人形館の展示「にっぽんの子ども展」の準備などで、何度か下北沢へ。

下北沢の駅を南口へ出るちょっと急な階段を下りるときぼくはいつもきまって、後半生をこの街で暮らしたという森茉莉が、よくこの駅ですっ転んだということをどこかのエッセイに書いていたのを思い出してしまいます。





今回も葉子が展示でお世話になった「木曜館」のことは昨年の「二人の季節展」のときも書きましたが、ちょっと前まで道をはさんだその向かいには、昭和12年に建てられ、戦災もくぐり抜けて70年あまりこの街にたたずんできたという古道具「露崎商店」の建物がありました。

けれど老朽化したその建物は今年になってついに立て替えのため取り壊され、今はもうありません。

2009年10月現在、在りし日の風景はまだgoogleのストリートビューで観ることができます。





この建物の脇から二階へ上がって入った喫茶「ミケネコ舎」は、ちょっと離れたところへ移転してスペシャルティコーヒー専門店"COFFEA EXLIBRIS(コフィア エクスリブリス)"として営業されているということで、映画やドラマにも使われたというとても雰囲気のよかった調度品もそちらへ移されているそうです。

COFFEA EXLIBRIS(コフィア エクスリブリス)



かつて骨董品などを商っていた「露崎商店」の二階には古着やアンティークのお店がひしめきあい、手すりに寄りかかるのが怖いような古くて危なげな階段を登ったところにはチラシなどが吊り下げられていて、ぼくもよくそこにお願いして フリーペーパー文化誌「献血劇場」を置いていただいたものでした。

その頃から、入り組んだ下北沢の街をあてどもなくめぐるとき、茶沢通りの「木曜館」と「ミケネコ舎」「露崎商店」の一角はなんとなくひとつのポイントになっていたのに、その風景がきえてしまったことで、なんだか気持ちの上でもぽっかり穴があいてしまったような感じがします。

ぼくは決して常連ではありませんでしたが、9月にはジャズ喫茶「マサコ」も駅再開発のため閉店してしまったりと、このところ急に変わっていく昔なじみの下北沢の街。


たとえば、人口都市と自然都市を区別すると、自然都市は、人口都市のようにそこにある要素がひとつの目的性あるいは意味によって透過的に支配されてない、要素のそれぞれが横断的に交叉するし、不透明な構造をもつ。ブラジリアみたいな人口都市には人は住めない。もちろん、都市である以上、自然都市も作られたものだけれど、そこに決定的なちがいがある。
いわば自然都市は自然言語と同様に、「なる」ものです。一旦人が住めば変えられるでしょう。
そこから考えますと、日本の私小説にせよ、日本の村にせよ、都会にせよ - 世田谷区の道路なんかとくにそうだけど(笑) - リゾーム状です。本居宣長的です。
しかし、それを「つくる」という観点だけで、批判して何になるのか。
むしろトリー状そのものを問題にすべきではないのか。
面白いのは、西洋人の方からトリー型こそ西欧的な知の権力なんだということを言い出してきていることです。
何も向こうからいいだしたから、真似をしているわけではない。
なぜなら、われわれはもう十分に西欧によって汚染させられているのであって、それが何たるかを知るべきだからです。


上に引用したのは「現代日本の思想」と題された1978年の鼎談での柄谷行人の発言で、「自然と作為」=「なる」ものと「つくる」ものを対立させた二元論で本居宣長の国学を否定し、ひいては日本と国家を批判した丸山真男の評価をめぐって、「実感信仰と理論信仰などという粗雑な分類をするような男を、ぼくは思想家とはよばない」と断言し、ドゥルーズ = ガタリの提唱した、トリー(樹木)型の西洋的な知の形態の反対物としてより根源的であるリゾーム(根茎)型という構造を対置してみせた文脈での言葉ですが、「リゾーム状」の好例として世田谷区の道路に言及しているのは、いみじくも言ったものだと思います。





10月1日には、下北沢駅新駅舎の完成予定図というものが発表されたということで、ぼくも一瞥してみました。

平成28年度 (7年後) 完成の駅
こんな感じになるみたい@下北沢

ひとことで言って、「つくる」ことにのみ価値を見いだす進歩的文化人の好きそうな、樹木型の権力構造ばかりが感じられるような気がしてしまいます。

ぼやきと怒りのマリアお婆さんがすってんころりんと転んでいたような下北沢の駅と、リゾーム状にこんがらがった道にそってできた街。ぼくのイメージの中の「下北沢」が地上から永遠に消え去ってしまう日も、そう遠くはないのかもしれません。

変わっていくことはしかたがないし、プロ市民臭い再開発反対運動などに与するのは嫌だけれど、その街の「なる」構造の積み重ねられた歴史の重みを、ぼくは尊重したいと思うのです。







[あとで読む] 




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木曜館のこと

2008/10/25 11:20



下北沢「木曜館」の「クロネコBOX」で
今月末まで展示をしている「二人の季節展」のおしらせをしたら、
「いつ行けば会えますか?」とか訊かれることが多かったのですが、
「木曜館」はギャラリーとかではなく
アンティーク雑貨などのお店で、
「クロネコBOX」はその店内奥、レジ脇の片すみにある
小さな展示スペースです。

初めてこのお店に立ち寄ったのがいつのことだったか
もう思い出せないけれど、たぶんもう十年以上前から
いつのまにか、下北沢の街をゆっくり歩くときは
ほとんど必ずと言っていいくらいのぞいてみるようになっていましたが
自分や葉子の作品を置いていただくなんて
昔は思ってもみませんでした。

店内には所狭しと懐かしい味わいのかわいい商品があふれかえっていて、
最近特に増えたこの手のお店にありがちな気取ったところがなく、
子供の頃、なにげなく身の回りにあったものたちに再会できるような
安心感のような不思議な感覚がお気に入りなのです。












ぼくもこの週末、またちょっとふらりと行ってみようと思ってます。

「二人の季節展」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/timeoftheseason.html




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