アルフォンス・マリア・ミュシャと「日本無罪」の系譜




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新作「日本無罪」~パール判事トリビュート・Tシャツのイラストについて、販売元の日本Tシャツ・ブランド「昭和元禄」の通販ページでは、「デザインは、アルフォンス・ミュシャを模したアールヌーボー調の「日本無罪Tシャツ」というコンセプトです 」とネタバレしてしまっていますので、そのことについていくつか触れておきます。


アルフォンス・ミュシャ作品集



ちょうど20年前のこの季節、たしか日本橋高島屋で開かれていたアルフォンス・ミュシャ没後50年を記念した回顧展があって、それはぼくが上京してはじめて観に行った絵の展示でした。

いまではすっかりありふれてしまった感のあるミュシャの絵画のイメージですが、その頃はまだ再評価の途上で、現在のように過剰なまで商業ブランド化してしまったのはもう少し後、1990年代のことだったように思います。

決して西洋美術の主流ではなく、19世紀末の徒花のような存在で、わずかに1960年代のサイケデリック・カルチャーに影響をおよぼした傍系の文化潮流としてのアールヌーボー。だからこそぼくにはとても魅力的だったのです。

まだぼくが自分で絵を描いたりもしていなかった頃のことでしたが、ミュシャやクリムト、それにビアズリーといった世紀末美術に夢中になって、中公文庫から出ていた海野弘「アール・ヌーボーの世界―モダン・アートの源泉 」などを読み耽ったり、いくつかの画集を手に入れては飽きずに眺め入ってしまう日々が続きました。



それから数年後、明治期の文学が興味の中心となって、与謝野晶子の「みだれ髪」の復刻本などを持ち歩いていた時期に読んだ中で、芳賀徹「みだれ髪の系譜」という本がとりわけ興味深く、いまでも強く印象に残っています。

掛軸のような装いにデザインされたミュシャの作品を特徴づけているくっきりとした輪郭線と平面構成が、浮世絵などの日本美術に強く影響を受けたものということは一目瞭然ですが、同時代の日本では明星派の文学の思潮と連動して、藤島武二らのミュシャの模倣によって視覚的なイメージの逆輸入がなされていたことと、その意味。

それらの系譜のつながりが、ぼくにとっては大きな示唆となったのです。


明星とミュシャ

みょうじょう&らぷりゅむ1

与謝野晶子とミュシャ 大貫伸樹の書物楽会より



こうして日本を起源とし、世紀末のヨーロッパで花開いた文化の意匠をあえてとりあげてみたという意味で、今回の「日本無罪」のイラストは、同じく19世紀末わが国の影響のもとに誕生したロシアのかわいいマトリョーシカ人形のルーツを描いた前作「姫だるま~マトリョーシカ」の続編でもあります。


ちなみに1996年、東京裁判史観の呪縛が招いたいわゆる自虐史観へのカウンターとして「新しい歴史教科書をつくる会」が立ち上げられたとき、呼びかけ人として「みだれ髪の系譜」の著者であった比較文学者・芳賀徹国際日本文化研究センター名誉教授が名を連ね、理事・顧問・教科書の監修者まで務められたことも、ぼくがこの問題に興味を持ってしまうにいたるひとつの暗示でした。

まさかその頃は、自分が後にパール判事へのトリビュート作品を手がけることになるなんて、思ってもみませんでしたが。


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