11人の怒れる男




ヘンリー・フォンダ主演の「12人の怒れる男」という映画を観たのは、学生の頃、アメリカ合衆国の陪審員制度について考えるという講義の教材としてでした。




父親殺しの罪に問われた少年の裁判。法廷には少年にとって圧倒的に不利な証言や証拠ばかりが提出され、12人の陪審員による評議もはじめから「有罪」と決めてかかって進められる中、ただひとり陪審員8番だけが冷静に理路整然と少年の「無罪」を説き、他の11人の偏見や固定観念、交錯する思惑を解きほぐし、ついには12人全員一致で"not guilty"の評決を出すにいたる、というあらすじ。

息苦しいような一室の中で繰り広げられるドラマが見事に登場人物のキャラクターの内面を描き出し、低予算・短期間で制作された作品でありながら「物語は脚本が面白ければ場所など関係ない」という説を体現しているとの評価も高い名作です。

けれどぼくはその映画を観た時の率直な感想は、法律にも真理にも縁のないこんな野蛮な連中に裁かれてはたまったものじゃないや、というものでした。

陪審員の中には、野球の試合が気になってさっさと評決を出してしまいたい男もいれば、人種差別主義者もいる。その12人の中に、もしもヘンリー・フォンダ扮する「陪審員8番」がいなかったら?司法とはそんなにいいかげんなものであっていいのでしょうか?


日本無罪



さて、ぼくがイラストを手がけた「日本無罪~パール判事Tシャツ」のリリースのきっかけといきさつについては、「リメンバー・パール判事 - はじめに」のページに記しておきましたが、この作品をこの時期に発表したかった理由がもうひとつあって、それはついに今日、2009年5月21日から施行となってしまった裁判員制度についても考えさせられることが多かったからなのです。

1946年の東京裁判は、12人の陪審員ならぬ11人の判事によって裁きがなされたものでしたが、国際法の学位を持つ裁判官はただひとりイギリス領インド代表のラダ・ビノード・パール博士のみであり、復讐心と人種的偏見と政治的御都合といった俗世の思惑が渦巻く素人の寄せ集めであったという意味では、野蛮な烏合の衆による陪審員~裁判員制度を思わせるものでもありました。


当初は反対意見を提出しないという方針、つまりあらかじめ「日本有罪」で結審するという前提で開廷された非道のリンチ裁判であったにも関わらず、パール判事が「同僚判事の判決に同意しえないことは本官の極めて遺憾とするところである」と宣言して展開した冷静で理路整然とした「日本無罪論」が現れるにおよんで動揺がおき、フランスのアンリ・ベルナール判事、オランダのベルト・レーリンク判事らも一部それに影響を受け、多数派の判事たちと名を連ねることに嫌悪さえも抱くようになったものの、結局は多数派判決が押し通され、少数意見は法廷で読み上げられることすらなく、法と文明の歴史に汚点を残すことになってしまったのは、まるでかの名画「12人の怒れる男」の陰画のようにも思われてしまいます。


「私は真実を真実と認め、正しき法を適用したにすぎない」と、パール判事は述べました。

正しき法の適用。そこには素人による恣意的な思惑などが介在すべきではないし、法的な責任と道義的な責任の区別もできないような低レベルな議論があってはならないのです。


戦争の罪を問う (平凡社ライブラリー)


ヤスパース「戦争の罪を問う」に従うと、戦争における罪と責任は次の4つに分類されるということです。

1:刑法上の罪
2:政治上の罪
3:道徳上の罪
4:形而上的な罪

法治主義の下で裁かれる罪とは1の「刑法上の罪」のみで、これについてパール判決書は正しく法を適用し「無罪」の結論を下しました。

2の「政治上の罪」は戦勝国が審判するところのものとのことですが、東京裁判を事後法による復習裁判と喝破したパール判事は、これを否定したものと考えられます。

そして、3「道徳上の罪」の審判者は自己の良心であり、4「形而上的な罪」の審判者は「神」のみである。つまりそれは裁判官によって裁かれるべき「罪」の範疇に属するものではありません。

いまだに、「パール判事が言っているのは『共同謀議』は認められないということだけであり,日本の罪にしたところで『事後法では裁けない』と言っているだけで,日本の道義的責任を免罪したわけじゃないんだよね。」などと分かったふうなことを言ってパール判決書の意義を認められない人々が後をたたないようですが、「道義的責任」などというものが判決に書かれてないのは当たり前のことなのです。

もとより、パール判決書は、日本への同情論ではありません。そして同時に「『A級戦犯は法的に無罪』ということであり,指導者たちの道義的責任までも免罪したのではなかった。まして日本の植民地政策を正当化したり,『大東亜』戦争を肯定する主張など、一切していない。彼の歴史観によれば,日本は欧米列強の悪しき『模倣者』であって,その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると見ていたのである」などという意味不明な代物ではけっしてありません。

そんな訳の分からない主張をしてパール判事の業績をねじ曲げてしまっている書物のレベルの低さはamazonのカスタマーレビューでも見透かされてしまっていますが、こんなものを信用してしまっている不勉強な人たちがまだまだ多すぎます。

法と真理についての正しい知識もなく、偏見と虚偽にまみれて、僭越にも神の視座から過去の日本にでたらめな「道義的責任」をかぶせて有罪を宣告し自らを恥じることもない愚かもの。

こんな野蛮な愚民に、やっぱり裁判員制度など無理です。悪法は廃止してほしいと強く願います。

求められるべきは、パール判事のようなプロフェッショナルの裁きなのだと思うのです。

小林よしのり ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論


関連記事

朝日は「裁判」に、何を求めているのだろうか?







この記事へのトラックバック