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トクマルシューゴの待望の4thアルバム「PORT ENTROPY」に寄せて

2010/04/26 01:54




トクマルシューゴ「PORT ENTROPY」フライヤー



このブログに「トクマルシューゴ - Rum Hee」の記事を書いて、気になるアーティストとしてご紹介させていただいたのは昨年の7月のこと。

http://timeandlove.at.webry.info/200907/article_4.html

その末尾に書いた部分には、ぼくの容姿をよく知る人たちから口々に「ほんとうに似てる」「そっくり」「本人じゃない?」といった反響をいただいてしまったものです。

それはともかく、その後数ヶ月の間にSONY「VAIO」 CMやバンクーバー・オリンピックのスポット広告での楽曲起用、それに何よりも「無印良品」のBGMで、トクマルシューゴの音楽を耳にしない日はないくらい、おそろしい勢いでメジャーな存在になってしまいました。

10月には吉祥寺の銭湯「弁天湯」でのイベント「風呂ロック」に出演したのを観に行くことができた葉子たちから、やっぱりライブがすごくいいという報告をうらやましく聴きながら、時にはテーマ音楽を手がけているNHK「ニャンちゅうワールド放送局」に出演しているのも欠かさずチェックして、アルバムの完成を楽しみにしていたのです。



ニャンちゅうワールド放送局ーゴーシュ



ちなみに、この「ニャンちゅう」での役名「ゴーシュ」のことを、ぼくはずっと宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」が出典だとばかり思っていたので、最近になってシューゴのズージャ語読みとのダブル・ミーニングだったことに気づきました。

それにしても、トクマルシューゴの音楽の魅力はいったい何だろう?

「だれにも似てなくなくなくなくない♪」と歌う「ニャンちゅう」のエンディングのように、ぼくがこれまで聴いてきた音楽の何かに似ているようで、何にも似ていない。

でもやっぱり、何かに似ているような気もする。

大雑把に、かつての「渋谷系」のリバイバルみたいに言われることもあるようですが、ぼくにはそんな気がしない。

その音楽をどこに位置づけたらいいのか思いあぐねながら、3月には自らオープニング音楽を担当しているNHK「トップランナー」に出演しているのを見て、ちょっとヒントを得たような気がしました。





ホームセンターを訪れて灰皿や植木鉢や食器やらを楽器に見立てるトクマルシューゴ。

スコップを叩いて、「もうちょっと錆びてたほうがいい」とか言いながら物色する彼のリズムに、ぼくは身に覚えがあるような気がしたのです。

それはもう20年くらい前ボ・ガンボスのライブで手のひらが腫れるくらい手拍子を打った記憶のある、ボ・ディドリーのジャングル・ビート、ニューオリンズのセカンド・ラインを思わせるリズムだったのです。

ことさらに、トクマルシューゴの音楽が、直接そんなルーツ・ミュージックを核としていると言いたいわけではありません。

けれど、むかしブルース・インターアクションズ=Pヴァイン・レコードのカタログを宝物の地図のように眺めて、ただ無邪気に未知のリズムを探し求めていた少年の頃のような気持ちにさせてくれるのが、トクマルシューゴの音楽の本質的な楽しみなのだと気づいてしまったのでした。


Gumbo Ya Ya - NewOrleans R&B Hit Parade



たとえば、「ニューオリンズ・ヒット・パレード〜ガンボ・ヤ・ヤ」というLP2枚組の好編集のコンピレーション盤を入手した時など、その中に詰まった音のすべてを浴びるように聴くことが、ただ喜びに満ちあふれていて、ものすごくステキなおもちゃ箱を手に入れた子供のようにうれしくなってしまったことを思い出します。

そしてその中に収められた60年代ニューオリンズのヒット曲の数々は、はかりしれない影響力をポップ・ミュージック・シーンに与えた、発掘されたばかりの宝石の原石のようなものでもありました。


トクマルシューゴのCDの発売元が、かつてブラック・ミュージックを通してぼくらにそんな喜びを与えてくれたPヴァイン・レコードであることが、偶然なのかどうかはわかりません。

けれど、待ち望んでいたトクマルシューゴの新しいアルバム「PORT ENTROPY」も、様々な楽器が織りなすホンキー・トンクな音程と躍動感たっぷりの不思議なリズムとが、どこまでもポップに仕上げられた、期待以上にステキなオモチャ箱みたいな1枚となってぼくらの前に届けられたのです。

そのCDを聴き終えたときの気持ちは、ちょうどむかし「ガンボ・ヤ・ヤ」を聴き終えたときの興奮とそっくりでした。





Twitterでサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんのツイートをフォローしていたら、ニューオリンズ・クラシック・チューンがぎっしりつまったドクター・ジョンの名盤 「GUMBO」を評して、「"IKO IKO"と"BLOW WIND BLOW"を繋ぐピアノが美しい。野蛮と洗練を極めた倒錯的世界観。」とつぶやいていたのが印象に残りました。

野蛮と洗練を極めた倒錯的世界観。

あるいはトクマルシューゴの音楽の魅力も、そんなところにあるのかもしれません。

そして、かつてのニューオリンズR&Bがそうであったように、音楽そのもののアイデアの源泉として、この「PORT ENTROPY」というアルバムが2010年代のマスターピースとなるような予感さえしているところなのです。


関連ニュース - 曽我部恵一×トクマルシューゴの対談公開
http://www.barks.jp/news/?id=1000060085










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杉並大宮八幡宮 - 小さいおじさんの妖精が棲む神社の都市伝説

2010/04/25 00:42



近ごろ広まった都市伝説のひとつに「小さいおじさんの妖精の棲む神社」があって、そこへお参りをした芸能人がその「小さいおじさんの妖精」を連れ帰った、などという発言をして話題になっているということを聞きました。


テレビ都市伝説『小さいおじさん』の謎に迫る
http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20080908/Cyzo_200809_post_921.html

「小さいおじさんの妖精」が住む神社? 東京・杉並区「大宮八幡宮」には天女目撃談も
http://www.myspiritual.jp/2010/04/post-1291.html



怪異譚の類いは好きですが、昔からぼくは幽霊とか妖精など本気で信じるつもりはまるでありませんでした。

ましてやコナン・ドイルがだまされたコティングリーの少女と妖精のどう見ても合成でしかありえないインチキ写真にうっとりして、「わたしも小さな妖精に出会ったことがあるんです」などと語る不思議少女に対しては、「寝言は寝て言え」という言葉しか出てきません。





ぼくが直接聞いた体験談の中ではただひとつ、東北のある旧家で幼いころ甲冑を着た武士のまぼろしを見たことがあって、後になって気づいたのはそこが盛岡市前九年という地名がいまも残る1000年前の古戦場跡だった、というおはなしのことだけが、なんだか妙に気になっていました。

思えば、ようするにぼくが関心を寄せる怪異とは、超自然現象ではなく、民俗の潜在意識に眠る共同幻想の具現としてのそれだったのです。


画像
杉並 大宮八幡宮 御朱印



上のリンク先にもあるように、テレビではあえて「東京の中心の神社」などとぼかした表現だったそうですが、件の「小さいおじさんの妖精が棲む神社」は「東京のへそ」というキャッチコピーを持つ杉並の大宮八幡宮にまちがいないだろうと、ほぼ特定されているようです。

そんなわけで、まだ行ったことのない神社を訪れたいというぼくと、ふだんは神社などへお参りすることもないけれど心を清めてみたいという知人と、せっかくだからこの噂の杉並の大宮八幡宮へ参詣してみようということになりました。


大宮八幡宮 神門
杉並 大宮八幡宮 神門



武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれた杉並の大宮八幡宮は、いただいた御朱印にも「武蔵國八幡一之宮」とあり、東京都内で3番目の広さの境内を持つ大きなお宮。

東京の八幡宮と言えば江戸最大と言われる深川の富岡八幡宮のイメージが強かったので、比較的なじみの深い杉並区にこんな立派な神社があったことに、今回あらためて気づかされたのです。


杉並大宮八幡宮の御由緒をひもとくと、源頼義・義家父子による前九年・後三年の役にころに京都・石清水八幡宮より勧請されたことに由来するとのこと。

さらにこの付近には、古墳や先史時代の祭祀遺跡も見られ、神社の創建よりもはるかに遡る太古からの聖地でもあったもようです。


杉並 大宮八幡宮 祓所
杉並 大宮八幡宮 祓所



もとより、流行のパワースポットの話題作りでしかないかもしれない「小さなおじさんの妖精」などという都市伝説の謂れを真面目に詮索しても詮無きことだとは思うのですが、あえてそのイメージの源泉はどこにあるのか、思いをめぐらせてみました。


そこですぐに思い浮かぶのは、アイヌの伝承に登場する小人「コロポックル」のイメージ。

明治時代にわが国の黎明期の人類学界で大論争となった「コロポックル論争」を思い起こすと、小さき人とはアイヌ〜古代の蝦夷に連なる先住民の幻影なのかもしれません。


もうひとつ、日本神話の中に登場する小さな神さまといえば、常世の國からやってきて大国主命の国造りに力を貸したという少彦名命(すくなびこなのみこと)。

神産巣日神(かみむすびのかみ)の指の間からこぼれ落ちるようにして生まれ、ガガイモの殻でできた船に乗ってこの国に現れ、粟の茎にはじかれてまた常世の國へ去ったという小人神のことです。

この大宮八幡宮は八幡さまであるから、出雲神話の少彦名命とは関係がないかも、と思っていましたが、八幡神としてお祀りされている応神天皇へ、御母であらせられる神功皇后が次のような歌を奉ったとあることを思い出しました。

この御酒は わが御酒ならず 酒の司
常世に坐す 石たたず 少名御神の
神壽き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し
獻りこし御酒ぞ 乾さず食せ ささ



ここには少名御神として歌われているスクナビコナの神。

崇神天皇の御代には、同じ内容の歌が大和なる三輪山の大物主神について詠まれていますが、いずれにしてもそれは国つ神、「国譲り」をしてどこかへ去って行った先住民の存在が強烈に意識された呪術的歌謡にちがいありません。


かつて明確な学術的根拠も曖昧なままにこの国の先住民が小人だったとする「コロポックル論争」が学会で長く唱えられたのにも、この神話と上代史に登場するスクナビコナのイメージが影響していたような気がします。


してみると、蝦夷征伐の功を立てた河内源氏により創建されたという神社に鎮められているであろう東国の先住民族へのおぼろげな印象が、「小さなおじさんの妖精」として、間歇遺伝のように現代の都市伝説にどこか影を落としているのかもしれません。


杉並 大宮八幡宮 拝殿
杉並 大宮八幡宮 拝殿



そんな想像をめぐらせながら訪れた春のうららかな日の杉並大宮八幡宮は、ちょうど安産祈願や子育厄除に吉とされる戌の日でもあり、たくさんの住民に愛される神社として生活の中に息づいているようすがうかがわれました。

もちろん、ぼくには「小さなおじさんの妖精」など感じることができません。

けれど、あるいはここに初宮参り連れられてきた子供たちは、この神域のどこかに眠っているそんなイメージを連れ帰り、いつの日か感じとることができることもあるのでしょうか?


杉並 大宮八幡宮 公式サイト
http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/








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Amarcord Nino Rota - ハル・ウィルナーのフェリーニの映画音楽作品集

2010/04/19 01:31



ごく私的に、1990年代のベスト・アルバムが前回触れたサニーデイ・サービスの「東京」とするなら、ぼくがリアル・タイムで聴いた1980年代の音楽の中でいまだに最高だったと思っているのはマリアンヌ・フェイスフルの1987年作品「ストレンジ・ウェザー」です。





このおそろしく魅力的な憂鬱に満ちあふれたアルバムについても、やはりぼくはフリーペーパー「献血劇場」誌上に連載していた「雨の日の女」で取り上げたことがあって、その原文はまだwebにも掲載していないのですぐには参照できないのですが、たしかルイ・フェルディナン・セリーヌの小説「夜の果てへの旅」の印象的な一節を引用して綴った記憶があります。



「列車が駅にはいった、機関車を見たとたん、僕はもう自分の冒険に自信がなくなった。僕はやせこけた体にあるだけの勇気をふるってモリーに接吻した。こんどばかりは、苦痛を、真の苦痛を覚えた。みんなに対して、自分に対して、彼女に対して、すべての人間に対して。

僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ。ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。」

セリーヌ / 生田耕作・訳 「夜の果てへの旅」





今にして思えば、「ストレンジ・ウェザー」という1枚のレコードが、マルティン・ハイデッガーより、柳田國男より、つげ義春よりも先に、16歳のぼくにはじめて「実存」という概念を感じさせてくれたのかもしれません。

そんな奇跡的なアルバムをプロデュースした人物として、ハル・ウィルナーという音楽家の名前はぼくの記憶にありました。


もうひとつ、「生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ」を感じさせてくれるような作品を、映画の中に探すなら、やはりこれまでにも何度か触れたフェデリコ・フェリーニの名作「道」をあげることになります。





フェリーニの映像美も世界観も、ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインの演技もちろんすばらしい。

けれどそれに劣らず重要な役割を果たしているのが、「フェリーニの『道』のジェルソミーナのテーマ」でも書いたように、その哀切な音楽なのだと思います。


最近になって思い当たったのですが、いくつもの傑作トリビュート・アルバムのプロデューサーとして評価されているハル・ウィルナーが最初に手がけていたのが、そのフェリーニの映画音楽を手がけたニーノ・ロータの作品集でした。





You Tube - Hal Willner - Nino Rota Medley
http://www.youtube.com/watch?v=_Jztf-lPaTY


You Tube - Hal Willner - Nino Rota's " La Strada "
http://www.youtube.com/watch?v=VKS40GN3big



"Amarcord Nino Rota (I Remember Nino Rota) "と題されたこのトリビュート・アルバムが発表されたのは1981年。

1979年に亡くなったニーノ・ロータの追悼盤という意味合いも込めて製作されたにちがいないこの作品は、1980年代の半ばに日本コロムビアから、そして1990年頃にMIDIレコードからCD化されていたようですが、気がついてみると今では入手困難となってしまっているようです。

そんな状況の中で、奇しくもぼくが最近このブログで取り上げたサニーデイ・サービスゆらゆら帝国をはじめとする、価値ある音源を有するMIDIレコードのリマスター音源発売を熱望するリクエストの声が、Twitterで賛同を集めているのを見かけました。

http://twitter.com/timeandlove/status/12337657338


矢野顕子も、ローザ・ルクセンブルグも、ぼくにとってはきわめて思い入れの深いアーティストで、そのことはまたいつか別の機会に綴ることがあるかと思います。

けれど今は、かつて迂闊にもちょっとおしゃれな映画音楽のジャズ・アレンジ作品みたいに思って入手しそびれていた、このハル・ウィルナーのニーノロータ・トリビュート作品の再発売を切望していることを特筆せずにはいられません。








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「本日は晴天なり」 - 10年ぶりのサニーデイ・サービス

2010/04/17 13:23



サニーデイ・サービスのメジャー・デビュー・アルバムが発売されたのは1995年4月21日。もう15年も前のことですが、その発売前日、レコード屋さんに入荷したばかりのこのCDジャケットを目にした時のことを今でも憶えています。





1990年代のど真ん中で、はっぴいえんどの「春よ来い」のニール・ヤングみたいに野太いギターの音に痺れながら、永島慎二の「漫画家残酷物語」を読み、林静一の「赤色エレジー」のような作品を描くことができたらと憧れている。

そんな反時代的生活を送っていたぼくにとって、そのCDのなんともアナクロで冴えないイラストとタイトルは、「ああ、こんなところに仲間がいたんだ」と直感させるに十分なものだったのです。

偶然このアルバムを購入していた葉子からその音を聴かせてもらって、その直感が確信に変わったのはもう少し先のことでしたが。


翌1996年、セカンド・アルバム「東京」の発売前日のこともよく憶えています。

やはりレコード屋さんに入荷したばかりのこのCDを、ぼくの嗜好をよく知っている友人の店員が、「稲村くん絶対にこれ好きだよ〜」と言いながら、さっそく店頭でかけてくれました。





店内に響き渡る1曲目「東京」のイントロ。ぼくにとって1990年代のベスト・アルバムが決定した瞬間でした。


サニーデイ・サービス「東京」について、フリーペーパー「献血劇場」誌上に連載していた「雨の日の女」で取り上げてみたのは2000年のこと。


雨の日の女 その36 / サニーデイ・サービス「東京」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kenketsu/rainyday_36.html



このページに綴ったように、1990年代の後半のぼくは日々、神田神保町の街へ出て、いつもサニーデイ・サービスのメロディと一緒に、フリーペーパー「献血劇場」に掲載する絵と文を思い描きながら暮らしていたのです。

ちなみに、文中に出てくる眼鏡屋さんとは神田神保町一丁目、明治12年創業の三鈴堂眼鏡店のこと。

古本屋さんの立ち並ぶ靖国通りにあって、ショーウィンドウのジョン・レノンの肖像がいつも気になってしまうこのお店を背景に撮影されたサニーデイ・サービスのシングルのジャケットもあって、同じ時代に、同じ街をうろついている仲間への親近感がますますわいてきたものでした。





実はそのころ、やはり神保町の街で、何度か曽我部恵一さんご本人に接触したこともあります。

いくつか事務的な言葉を交わしながらも、「サニーデイ・サービス大好きですよ」などと言い出すこともできず、ただ胸の中に彼の歌詞がフィードバックしてくるばかりでした。


そっちはどうだ上手くやっているか?
こっちはこうさどうにもならんよ
いまん所はそんな感じなんだ



ようするに、サニーデイ・サービスとはぼくにとっての「青春狂走曲」だったのです。


サニーデイ・サービスが解散してしまったのは2000年の暮れ。

ぼくにとっても、同じころに編集したフリーペーパー「献血劇場」vol.38が、最後の号になってしまっていました。


それから10年の月日が流れて、もうそんな日々のことが夢のように思い出されるばかりになってしまった今では、「献血劇場」などのことを知らず、ぼくのことをあるいはマトリョーシカ作家とか、Tシャツ・デザイナーとか、あるいは古めかしい文章で神社や国史について綴るライターとして認識される方が多くなってきたようです。

それでもまだ時おり、むかし「献血劇場」を読んでいました、と言ってくださる方に出会うと、何とも言えない甘酸っぱい気持ちがしてしまい、それはちょうどサニーデイ・サービスの音楽を聴いている時の感覚と重なるような気がします。





2010年4月21日には、再結成したサニーデイ・サービスのアルバム「本日は晴天なり」がリリース。

それはちょうど15年前、「若者たち」が発売されたのと同じ日。

ここでまたぼくは、なんだか甘酸っぱい思いでその音を待っているところなのです。







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ALICE DROPS の アリス玉子

2010/04/09 02:07



2010年4月7日から19日まで、大阪市北区中崎町にある三つのお店「jam pod」「one plus 1 gallery」「乙女屋」による雑貨とイラストの合同イベント「ALICE DROPS」が開催されています。

以前から乙女屋さんに人形や小物をお取り扱いいただいてお世話になっている葉子の万年少女人形館も、写真の「アリス玉子」を出品。


アリス玉子



おどろいたことにこの「アリス玉子」、初日にはもう売約済みとなってしまったそうですが、展示期間中は乙女屋さんでご覧いただくことができると思います。

正直言って、わが家から旅立たせるのが惜しいくらい、かわいらしい出来映えでした。

2月に「アリス・マトリョーシカ」を作って一段落したつもりでいたぼくも、また負けないように励まなければなりません。


アリス・ドロップス



「ALICE DROPS」は、3店舗をめぐってお買い物をするとステキなオリジナル・ボックスがもらえるスタンプ・ラリーなども催されているそうで、とても楽しそうなイベントのようです。

関西方面の方はぜひお見のがしなく。









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アリスの時間 - トレヴァー・ブラウン&山吉由利子展に寄せて

2010/04/07 00:59



人形作家の山吉由利子先生とイラストレーターのトレヴァー・ブラウン氏とコラボレーション展示が企画されているということはだいぶ前から耳にして、ずっと楽しみにしていたのですが、その二人展のテーマが「アリスの時間」であるということを知ったのは、わりと最近のことでした。

2010年のアリス・イン・ワンダーランド」で書いたように、今年は「アリスの年」になるだろうと予想はしていましたが、尊敬するアーティストである山吉由利子先生もアリスを手がけられると知って萎縮してしまうその前に、ぼく自身の「アリス・マトリョーシカ」をひとまず作り上げることができてよかった、と思ったのです。





新作のアリス画集をエディシオントレヴィルから上梓されたばかりのトレヴァー・ブラウン氏の絵を、久しぶりに訪れた渋谷Bunkamura Galleryで鑑賞していると、古い言葉ですが、なんだか「ポスト・モダン」な気分でいっぱい。

一方の山吉由利子先生の作品は、クラシカルな気品とシュールレアリスティックな香りが漂いながらも、その下地となる素養はむしろモダニズムの世界にあるのかもしれません。

ヴィクトリア朝という「近代」の中心を時代背景として生まれたアリスの世界やルイス・キャロル文学のノンセンスな感覚は、1970年代になって再評価され、それは今にして思えばその後のポスト・モダン・エイジにいたる伏線でもありました。

今回のトレヴァー・ブラウン&山吉由利子展には、お二人の個々の作品の求心力もさることながら、それぞれの個性のほどよい距離感の中に「アリス」の世界が浮かび上がるような仕掛けがあったように思われたのです。

「アリス」の魅力とは、そんなふうにさまざまな時間が交錯したような多義性に満ちたテクストであるところなのですから。


同時に、考えさせられたのは、児童文学の古典であり、神話的なイコンの数々に彩られた「アリス」の世界へのアプローチには、ほかにどんなやり方があるだろうか?ということ。

たとえば、徹底してプレ・モダンを志向することで、コンテンポラリーな魅力を、もしくはユニヴァーサルな価値を得ることはできないだろうか?などと思ってしまったのです。

そこでぼくは、この十年くらいのあいだいつもぼくの頭の片隅から去らない折口信夫博士の学問と文学のことなどを思い浮かべていました。

これはぼくの個人的な宿題として、もうすこし追求してみたいと思っています。


「アリスの時間 - トレヴァー・ブラウン&山吉由利子展」は、4月11日の日曜日まで開催中。

http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100331alice/


babyart - Trevor Brown
http://www.pileup.com/babyart/

山吉由利子 Yuriko Yamayoshi Dolls
http://www.yamayoshi-doll.com/








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シルクスクリーン・プリント・ワークショップで作った三月ウサギTシャツ

2010/04/05 01:07




3月27・28日、東京を中心に活動する頭文字「S」の3つのデザイン・ウェア・ブランドによる展示会"S-Rooms"の2回目にあたって、以前もご紹介させていただいたsmall designのTシャツ・ワークショップが開催されるというので、今回も参加させていただきました。


前日までプリントしてみたい図案をあれこれ考えてみたのですが、なかなかいいアイデアが浮かばなかったので、とりあえず最近描いた絵の中から、「アリス・マトリョーシカ」の一部に描いた三月ウサギの画像を取り出してみました。


アリス・マトリョーシカに描いた三月ウサギ


この画像を、レベル補正してコントラストを上げてからモノクロ二階調化したものを版下に。


三月ウサギTシャツ版下



もともとシルクスクリーン・プリントを前提に描いた図案ではないので、ハーフトーンは細かなドットになり、実際に刷ってみるまでどの程度キレイに出るかはまったくわかりません。

この版下を木枠に張ったスクリーンに感光させ、薬剤を洗浄してできあがった版をTシャツにあてて、いよいよインクをのせて刷っていきます。


Tシャツのスクリーン版をあててプリント



三月ウサギがプリントされたTシャツ



プリントの具合を見てみると、思いのほかいい感じです。

そして今回のイベントでは特別に、あらかじめご用意していただいた版をオプションでプリントしていただけるとのことだったので、以前からおしゃれだなあと思っていたsmall designの既製品「蝶ネクタイ」の版をリクエストしてみました。

small design「蝶ネクタイ」Tシャツ
http://www.smalldesign.jp/product/155
http://www.smalldesign.jp/product/134


蝶ネクタイのスクリーン版をTシャツにあててみる



あえて一部が首リブ部分にかかるようにプリントしてみたいという希望を申し出たところ、その段差部分をうまく刷るには熟練していないと不安。というわけでここはワークショップの講師であるsmall designのキクタケさんにお願いすることに。


蝶ネクタイ部分をTシャツにプリント



三月ウサギのイラストだけではちょっと面白くないかも、と思っていたTシャツが、蝶ネクタイとのコラボレーションでずっとステキな作品になりました。


三月ウサギと蝶ネクタイがプリントされたTシャツ



最後に、ドライヤーでよく乾燥させて完成。


シルクスクリーン・プリントしたTシャツをドライヤーで乾燥



着用してみるとこんな感じです。お気に入りのTシャツができあがりました。





プーペガールにも投稿してみました。


参加ご希望の方を募って吉祥寺の自宅アトリエにて毎週土日に開催されているというsmall designの手づくりTシャツワークショップは、ちょうど今回で最終号となるという3/27発売の雑誌「デザインの現場」2010年 4月号のワークショップ/スクール紹介のページでも取り上げられています。


デザインの現場 2010年 04月号 [雑誌]
デザインの現場 2010年 04月号 [雑誌]


今回のワークショップでは、あらかじめ計算して作りあげる商品とはまた別の、手づくりならではのおもしろさを体験させていただきました。

みなさんも、この夏に向けて自分だけのオリジナル・デザインのTシャツ作りを試みられてはいかがでしょうか?












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坂本慎太郎さんからの電話 - ゆらゆら帝国の解散に寄せて

2010/04/01 02:56



ゆらゆら帝国 ARE YOU RA?




1990年代の初め頃のこと。「ゆらゆら帝国」という変な名前のバンドがおもしろいよ、と教えられたとき、ぼくはその名前に覚えがありました。

少し前に読んだ雑誌「宝島」のネオ・ヒッピー特集号に掲載されていた小さな記事で、貧乏暮らしをしている美大生としてとりあげられたアングラ風な青年が、そんな名前のバンドをやっている、と紹介されていたことが、なぜか印象に残っていたのでした。


はじめてゆらゆら帝国のライブを観たのは、たしか1992年の新宿ロフトだったと記憶しています。

当時は四人編成で、ウィキペディアには「天然パーマ」と書かれている坂本慎太郎さんもまだストレートの長髪でSGをかき鳴らし、有名になってからの独特なたたずまいとはまた別の異形な雰囲気を醸し出してぼくらの目の前に現れたゆらゆら帝国。

対バンのメンバーやスタッフなどを除けば、客席には人影もまばらでした。

けれどその音楽はほんとうにすばらしいもので、ぼくはすっかり夢中になってしまったのです。





当時のアンダーグラウンド・サイケデリック・ロック・シーンのなかのバンドのひとつとしても、もちろんすぐれている。

けれど決してその枠の中にだけに収まらず、リリカルな言葉のセンスに満ちあふれていて、ソウルフルでファンキーな黒いリズム感が圧倒的に突出している。エンターテインメントとしてもものすごく楽しい。しかも美しい。


こんなバンドがあったんだ、という驚きと興奮でその後も何度もライブに足を運び、ある日ついに、坂本慎太郎さんにひとつのお願いを持ちかけてしまいました。

それは、当時ぼくらが創刊して間もなかったフリーペーパー「献血劇場」の別冊として、ぼく自身の漫画作品を特集した小冊子を発行したばかりでしたが、その第2号で、ゆらゆら帝国と坂本さんの詩とアートの世界を特集させていただけませんか?というお願いでした。

もちろん坂本さんご自身はまったく憶えてもおられないだろうとは思いますが、ぼくの勝手なお願いに応えて、坂本さんみずからわざわざぼくに電話をかけてきてくださったのです。

ぼくらの期待に応えられるのかどうかわからないので、と申し訳なさそうな坂本さんにそれ以上無理強いすることはできず、結果的に実現することはなかったのですが、最後におっしゃっていただいたことを今でも憶えています。

「稲村さんの作品も拝見したんですけど・・・稲村さんは稲村さんの世界をお持ちのようだし、そちらを追求していってほしいと思うんですけど・・・」

朴訥とした感じだけれど、この人はほんとうに真摯な人なんだな、と思わされる口調でした。

そして、坂本さんはこれからもずっと坂本さんの世界を追求していくんだろうな、と思ったのです。





それから20年近い歳月が流れて、1998年のメジャー・デビューで陽の目を見て以後は想像した以上にポップな展開も見せて、人気と評価を獲得したゆらゆら帝国。





ゆらゆら帝国の公式ホームページに掲載された「突然ですが、ゆらゆら帝国は2010年3月31日をもちまして、解散することになりました。」という坂本さんのコメントを目にして、あのときの電話の声を思い出しました。


ゆらゆら帝国は、結成当初から「日本語の響きとビート感を活かした日本独自のロックを追求する」という変らぬコンセプトを基に活動を続けてきました。
同時に、アルバムごとに過去のイメージを払拭し、更新し続けることを自らに課し、時にはバンド形態すらも壊すことによって、常に自分達の演奏に向かう新鮮な気持ちや、緊張感を保ってきました。
そしてアルバム「空洞です」とその後のライブツアーで、我々は、はっきりとバンドが過去最高に充実した状態、完成度にあると感じました。
この3人でしか表現できない演奏と世界観に到達した、という実感と自負がありました。

しかし、完成とはまた、終わりをも意味していたようです。

解散の理由は結局、「空洞です」の先にあるものを見つけられなかったということに尽きると思います。
ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました。
昨年は、新曲を作ったり、旧曲のライブアレンジで新たな試みをすることで、
なんとかこの出来上がってしまった感、安定感を打破しようと試行錯誤したのですが、結局自分達の中で、次ぎのアルバムに繋がるようなワクワクする感覚を得ることはできませんでした。
今年に入ってから、メンバーで話し合った結果、「この3人で、やれることは全てやり切った。」「これ以上続けてもルーティンワークになるだけだ。」という結論に達し、メンバー全員納得して、バンドを解散することに決めました。
http://www.yurayurateikoku.com/



坂本慎太郎さんは、いまでも坂本さんの世界を追求してた。そしてこれからもずっと追求していくんだろうな、という感慨がこみあげてきました。





あらためて、ぼくはぼく自身の世界を追求しなければならないと思い出させてくれた坂本さんと、同時代に出会えたステキなバンドの21年間に感謝したいと思います。


http://www.barks.jp/news/?id=1000059771






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◆◇◆ 薬箱手帖 ◆ 稲村光男抒情画工房 ◆◇◆ 2010年4月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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